Canpathを読んでいる人たちの中には国際協力で身を立てたいと望んでいる人も少なからずいると思うので、僕の個人的な経験をシェアしたい。今後の進路を考える上で少しでも参考になればと思う。
何をシェアするのかというと、仕事としての国際協力の話だ。職員は報酬として一体いくら支払われるのか、気になったことはないだろうか。大抵NGOや国際機関の広報は、誰も文句が言えないくらい素晴らしい活動をしているというポジティブ・キャンペーンか、誰もが助けたくなるような紛争下にいる子どもの写真などを使ったネガティブ・キャンペーンに大きく分かれていて、職員の生活は見えてこない。
最初はボランティアかインターン
国際協力という業界は、とにかく入口の敷居が高い。大学院生の頃、卒業後を見据えてあの有名なRelief Webというウェブサイトなどで職探しをしていたけど、「関連する分野の修士号必須」というハードルをクリアしたとしても、「最低でも3年の類似した職種の経験必須」や「フランス語必須」「アラブ圏内での経験必須」など、新卒無経験者がチャレンジできるようなポストはほぼ皆無に等しい。つまり最初はどんな形であれ業界の中に潜り込まなくてはならないのだ。「どんな形であれ」というのの意味することは、「無給で」ということだ。
名だたるNGOや国際機関なら必ず、どんな小さなNGOやNPOでもほとんどは、このボランティアやインターンと銘打った無給ポジションがあるはずだ。僕はオランダで開発学の修士号を取ると決めた時点で「国際協力を生業にする=給料を稼ぐ」ことに決めていた、というか自分に課していたので、この「無給」の難関は非常に厳しかった。しかし、避けることはよほど運がよくなければ無理だったので観念し、オランダにある世界的なNGOの支部で4か月間のインターンを経験して、何かしら自分の履歴書に書けるものを作った。いただいた報酬はその翌年の壁掛けカレンダーのみ。残念ながら20代前半の若き新卒にとって、いきなり世界レベルの国際協力人材市場で勝負するには甘すぎたのだ。
借金生活スタート
考えても見てほしい、僕みたいな日本の普通の家庭で育った人間が海外の大学院を卒業するとなると、一家の家計が崩壊しないはずがない。親に頭を下げてオランダまで来た身としては、すぐに有給ポジションを得るしかない。100近い履歴書を応募して、卒業後最終的に得たのはインターンをしたNGOの日本支部の無給ポジションか、東京にある日本のNGOのアルバイトポジションだった。迷うことなく後者を選んだ。ラオス、カンボジア、フィリピンなどで国際協力を行う、僕の夢に近い団体だった。
しかし、時給1000円で給料は月に手取り14万円程度。残業すればもう少し。もちろんボーナスなんてない。生活するのがやっとで、一人暮らしもできず、両親や奨学金団体に学費を返すなんてできっこない。そのまま東京で1年半の歳月が流れた。同僚の中にはフランスの大学院で博士号を取って同じ待遇で働いている人もいたので、文句は言えない。
青年海外協力隊という選択肢
JICAの青年海外協力隊は、いいプログラムだ。通常2年海外の現場を経験できて、任務終了時には国内積立金が200万円くらい手元に残る。それを使って次の職探しの期間生活できるし、海外の大学院(特に開発学など)はそのまとまったお金を使って学費に充てる「協力隊上がり」の学生も多い。特に協力隊の中の「村落開発員」という業種だと、何かに特化したスペシャリスト(例えば数学教師や獣医)と見做されないので、将来国際協力業界内ではつぶしがきく。なぜ僕はその選択肢を取らなかったのか。理由は世界のために働きたかったからだ。JICAは独立行政法人といえども日本国民の税金で賄われている。派遣地も職種も国際政治に左右されるばかりか、隊員の活動は現地の人のためになるだけでなく、最終的には日本の国益に資することが必要となる。僕はこのあたりまえのことを受け入れられなかった。一方、NGOはその名の通り非政府。支援は国に属さない。ひとりの地球人として行う地球人への活動。僕の肌に合っていた。
紛争地の現場駐在
僕は転職した。月14万円ではお先真っ暗だ。次に選んだのはNGOでの紛争地現地駐在。月収はやっと20万円を超えた。しかし、30代に差し掛かっても年収300万円は超えない。超えないばかりかほど遠い。国際協力をしながら損得勘定をするのはそもそもモラルに反するし、損得勘定が無意味になるほど貴重な人生経験ができるのがこの業界の醍醐味だ。それを理解した上で僕はこの仕事を選んだし、お金しか価値の貯まらなかった人生よりよっぽど僕は幸せだと思う。しかし、年収200万円台で30代をやり過ごせますか?
もちろん現場駐在は住居費を組織が出してくれるため、相対的に日本にいるより出費は少ない。僕が駐在した場所はそこまで物価は安くなく、日本の8割くらい。数か月に一度国外で休暇をとることが義務付けられていたため、平和な国へ行くと出費も嵩む。そんな生活だった。
日本のNGO職員と国連職員の給与差
地位も名誉もある国連職員の初任給は大体900万円くらいです。「それは大事で大変な、それ以上に危険も伴う仕事ですから」と一般の人は思うかもしれない。国連職員は紛争地でもいちばんガードの堅いところにいて、防弾車で、時には武装したエスコートを引き連れ現場に来ては数時間現場を「アセスメント」する。あとは大抵コーディネーションやリエゾンの名のもとに会議ばかりしている。現場でのイメージはそんなもので、NGO職員の方がよほど危険に晒されている。国際協力業界の諸悪の根源はここにある。同じような地域で同じような大義の元、同じような活動に関わっているにもかかわらず、NGOと国連との間に給与差がありすぎる。
国際協力でキャリアを築いていくと、日本から離れる期間も長くなり、将来どこに腰を据えるのかという疑問にぶち当たる。日本で、と考えるなら、貯金をしておかないと、将来は不安だらけになる。もし結婚してて家族がいたとしたら、なおさらだ。つまり、国際協力業界の問題は、入る敷居が高いため新卒で入るには厳しいにもかかわらず、国連職員にならない限り、日本で家族を持って暮らしていけるかどうかの瀬戸際の待遇で続けるしか道がほとんどない、ということ。だから必然的に、国際協力職員は独身か、配偶者が高給取りで生活に困ることがない、という場合が多い。
国際協力職員は聖者か
結局僕は国際機関に転職し、国連までとはいかないがNGOにいたときの倍以上の報酬をもらってアフガニスタンで働いている。これを書いている間にも、遠くで散発的に銃声が聞こえたりしている。この間はここから200メートルくらいのところで爆発があった。そんな環境下で年単位で駐在を継続するのだから、少なくとも日本で安定した暮らしを夢見ることができるくらいの報酬はほしい。なぜなら、僕は聖者ではない。国際協力職員は聖者にならなくてもいいはずだ。
やりたい奴が結局生き残る
国際協力をしたい。その願いは大切だ。僕はその願いがとても強かった。それしか考えてこなかった。来年で10年間この業界で働き続けたことになる。国際協力職員になるにはどうしたらいいか。答えは簡単だ。誰よりも強く願い続けて、チャレンジし続けることだ。一般の業界に行けば何千万円と稼げるような人材がごろごろいる。それでも世界の貧困や紛争のために戦う。そんな先輩たちの姿を僕は今も追い続けている。