はい、なぜか2本立てでのCanpath更新になります。
こうたろうです。
前回のPapa Kitsについては先週のバケーションの内容なんですが
今回は何を書こうか考えまして、、、ちょっと最近考えていることについて書こうかなと思います。
あ、ちなみに今日のメイン画像は僕のふるさと岐阜県の田園地帯の風景です、留学前に撮っておいた写真の1つなのですが、不思議と何の理由もなく愛しい光景です。
フィリピンに来て2週間が経ち、気候や食事や人々にも恵まれ、問題なく時を過ごしています。
語学学校はNexSeedというところにお世話になっています。(また検索してみてください。)
フィリピン人の先生と仲良くなり、深い話題の話もするようになる最近は日常でも「こう説明した方が分かりやすかったかな」や「自分独自の考えでないか」を気にするようになっています。
今週話した話題は「日本の抱える借金」「金融危機が起きるとどうなるか」「自殺の原因」「恥と罪の意識」など多岐に渡りますが、先生から「Kotaro, what do you think?」と問われると「自分の意見を聞いてくれる」と嬉しくなってしまいます(単純です)
そんな中で「自殺の原因」についてちょっと考えたことを書いてみます、
僕ら日本人は統計上、年間3万人の自殺者を出しています。
はっきりした原因はわかりません。理由が経済的なのか環境的なのか精神的なのかさえ分かっていません。
しかし僕には何となく思い当たる節があります。
インターネットやスマートフォンの出現の時から僕らの世界という言葉は常に広がってきた気がします。
デバイスとネットさえあればあらゆる情報にあらゆる人がアクセス出来るようになりました。
それはAppleのようなイノベーションを生み出し、間違いなく世界を変えました。
インターネット無しの生活など僕にも考えられないですし、多くの人にとってインフラと言って差し支えなくなってきています。
一方でインターネットがスマートフォンになった前後くらいから人々の関係性も希薄になっていった気がします。
僕も経験がありますがその2つが重なると、何か起こった時に多すぎる情報に周りとのつながり無しに向き合うことになり、自分が今その情報の海のなかでどこにいるのかが分からなくなります。
僕はこれが1番の原因ではないかと思っています。
インターネットの情報は人間にとって強力すぎる道具だと思わざるをえないのです。
特に僕らのような若い世代の場合は経験に比例した、一度に触れる情報量は今までの人間のどの世代より多いことになります。
情報量が多い環境に加えて、つながりが希薄。これで例えば不登校やリストラ、事件事故が起きると本当に自分がどこで何をしているのかが分からなくなるのではないか?
こんな趣旨のことを言いました。日本語ではなかったけれど先生は分かってくれました。
同時に解決策も聞かれました。
僕が考えるのはありきたりですがコミュニティの新構築と子どもへの情報の制限です。
コミュニティってのはどれだけ小さくてもかまいません、大学のサークルや町内会みたいなものでもいい。ただ自発的に参加するものがコミュニティとしては望ましいでしょう。
子どもへの情報制限はいろいろな異論があると思いますが、13歳くらいまではインターネット自体必要ないのではないかと思います。
子どもが選択できるようになる年(なのでその年に個人差があっていいと思います)まで制限していいのではと伝えました。
こんなかんじです。今回は
社会問題に興味はすごくあるので考察してこうかなと思っておりますー。
ではでは。