2012年12月31日、2012年最後の日に、僕はシドニーに降り立った。
シドニーに来た理由は至極簡単だった。とにかく海外で働いてみたかった、そして、僕を受け入れてくれる会社がたまたまシドニーにあった。それだけだ。
僕は事業の買収・売却に携わる仕事をしているのだが、この仕事は今の時代日本国内で完結することはほぼありえない。日本の会社が海外の会社を買ったり、逆に海外の会社に事業を売却したりということが、ごくごく普通に行われている時代だ。英語で海外の人とわたりあって、日本語でやるのと同じように仕事ができることが、必要になってきている。
僕はそれまで生まれてこのかた、日本の外はおろか東京の外にも住んだことはなかった。そんな自分が、海外企業の買収についてえらそうな顔で意見できるわけもない。早く海外の空気を肌で感じて本物のプロフェッショナルになりたい、そうずっと思っていた。
そんな中社内の公募プログラムで、海外の事務所への派遣に応募できることになり、だめもとで応募した結果、シドニー事務所との面接が決まり、あっという間に派遣が決まってしまった。
準備の期間が短かったこともあって、たいした実感もないままにシドニーについた僕がまず驚いたのが、美しい海と空、それに多種多様な人々が織り成す熱気だった。
とにかくシドニーは空と海が青く、美しい。乾燥して不快感の少ない気候は、世界中の多くの人がシドニーにこぞって住みたがる最大の理由だろう。さらに、オーストラリアは移民に比較的寛容なこともあって、アジア人・ヨーロッパ人等さまざまな人たちが移住してくる。移住の理由は、経済的な理由や、住みやすい環境を求めてなどさまざまだが、そんな人々を寛大に受け止める度量がシドニーにはある。
そんなすばらしい街シドニーでも、つらいことはたくさんある。当たり前のことだが、言語が違うということは、ときに本当にストレスになるものだ。自分の言いたいことが伝わらない、日本でやりなれた仕事でもこちらではできない、そんなことがたくさんある。自分がどうしようもなく愚かで惨めに思えてくることが、よくある。
ただ、不思議と日本に帰りたいと思うことはない。それはやはり、シドニーの人々が、いつも暖かく僕を支えてくれていることが大きいだろう。仕事がどんなにできないときでも、同僚や友達はいつもやさしく励ましてくれる。お前は優秀だ、ただ少し慣れが必要なだけだ、そう言って背中を押してくれる。そしていつも“No worries (心配ないよ)”、といってくれる。
そんなシドニーの人々の温かさに、今日も僕は助けられている。
ありがとう、シドニー。
つらいこともあるけれど、もう少しここで頑張ってみることにする。