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No Football No Life その①

2006年10月1日。日曜日。

この日は一生忘れることが出来ないだろう。
僕が中学サッカー部に途中入部した日。そして、サッカーの世界に飛び込んだ日だ。
そんな僕のサッカー人生を今回は振り返ってみたい。
とても1度では語り尽くせないので、今回は中学サッカー編。

ぶっちゃけた話。

普段あまり人に言わないが、実はうまれつき体が悪い。心臓が悪く、胸骨も変形している。
そういうわけで、スポーツは大の苦手だった。
激しい運動をすれば、発作のように息が上がり、胸部が刺すように痛くなる。
大学生になった今ですら、激しいストレスを感じると、しゃがみこんでしまうほどの胸痛がやってくる。

その上、運動音痴だった。小4まで。
25メートルを初めて泳いだのは小4のとき。犬かきで。
泳いだというより、溺れかけていた。
小5からは原因不明の突然変異で、長距離以外の運動がそこそこ得意になった。

パソコン部出身者、サッカー部員になる。

中学はじめてのスポーツテストは、根性で頑張った。
足だけはなぜか速くなっていた。長距離は相変わらずだった。
体のこともあり、大人しくパソコン部で俺の青春スタート。
他の部員と馴染めず、夏休みが始まる頃には幽霊部員になった。
おまけにクラスでいじめられ、『俺の青春なんなん?オワタ?w』という感じ。

ただ1人だけ、俺の相手をまともにしてくれる奴がいた。
いじめられたことで付き合う友達を変え、仲良くなった奴だった。
そいつは『変人遅刻魔』として有名だったが、実はサッカー部員だった。
夏休みも明け、そいつに『サッカー部1年生、10人しかいなくて。1年生大会には出れるんだけど、もう1人探してるんだよね。入らない?』と誘われた。

人生初のオファーである。

スポーツテストの結果をみたサッカー部顧問からも話があった。

小学校時代、サッカー少年団の奴らと仲が良かった僕は、休み時間によくボールを蹴っていた。そのため嫌いではなかった。
親に相談し、かかりつけ医にも相談した。顧問から自宅に電話があり、親にも説明してくれた。

2006年10月1日。日曜日。

少年団出身者10人の中に、ど素人の僕が飛び込んだ。
みんなはカッコイイ練習着を着ていて、僕だけが学校の体育着だった。
最高にアウェーで、最高にイカしていたと思う。

当然の話ではあるが、季節は秋である上に、経験者ばかりのサッカー部で、基礎など丁寧に教えてくれる者などいるわけもなかった。
しかし、変人遅刻魔のHは違った。ボールの蹴り方から熱心に教えてくれた。
自主練習だけでなく、掃除の時間ですら、モップがけをしながら、キックフォームの練習。
スリッパを華麗にふっとばし、見事に蛍光灯を粉砕した。
『無理になったらいつでも、×サイン出せよ』といつも試合に送り込まれた。
そうして、自分の体と上手に付き合いながら、僕はどんどんサッカーにのめり込んでいった。

そうして年が明けた。サッカー歴3か月の僕は、1年生大会で公式戦デビューを果たした。
足の速さと適切なポジショニングからのインターセプトを売りにした右SBは、チームでも認められていった。春にはスタメンを獲得した。
とはいえチームはブロック最弱レベル。試合は負けが多かった。先輩との中体連もあっさり幕を閉じた。

パソコン部出身者、キャプテンになる。

そして、意外なことにも僕が次期キャプテンになった。
サッカー歴9か月でチームのキャプテン。ポジションは右MFになった。
この頃には体力がついて、人並みには走れるようになっていた。俊足でサイドを駆け上がり、クロスを上げるのが売りだった。

中二病の狭間で。

この時はサッカーが楽しくて、楽しくて仕方がなかった。
でも、チームの雰囲気は違った。メンバーは仲が良かったが、練習をいい加減にするチームだった。朝練には誰もこないことが当たり前だった。

『俺やってるから、朝練こいよ』『みんなでやろーぜ』と言っても後輩すらほとんど来なかった。
そうする間に秋になり、寒い日が続いた。凍てつくような早朝のグラウンドで、1人でボールを蹴る毎日。
『あいつ、いつも1人じゃんw だっせw』
中二病真っ盛りの、喋ったこともない人たちに笑われることもあった。

たまに学外の女子クラブチームに所属する女の子が、僕を見かねてか、朝練に来てくれた。
他に誰もいないグラウンドで、2人きりでパスをするだけで、気持ち悪いほどニヤついていた僕も中二病重症者だった。

それでも、ボールを蹴り続けた。仲間にひたすら声をかけ続けた。
すると、次第に人が集まるようになった。そして、チームはどんどん強くなった。

結果的にブロック大会では3冠を果たし、地区大会にも出た。
そして、僕らは県大会出場を掲げるチームになった。
途中で、腰椎分離症という怪我を負ったものの克服した。
(実はキックフォームが、見よう見まねの独学だった為に起きたものだった。)

努力を盲信すること。

こうして、キャプテンとして、1人のサッカー少年として、
『努力で全ての物事は成し遂げられるんだ!』
『一生懸命頑張れば、自分の弱点も乗り越えられるんだ!』
と中学の僕は学んだ。

この先の高校サッカーで、どんなことが待ち受けているのか知る由もない
無邪気なサッカー少年だった……。

(その②に続く!)

この記事を書いた人

Kenta Kawashima
現在地:-
岐阜県旧糸貫町(岐阜北高校)出身 愛知県立大学 外国語学部 国際関係学科3年 学生広報部 第1期 元代表 トビタテ!留学JAPAN 日本代表1期生 サッカー 洋楽 料理 ビリヤード スノーボード バックパック フィールドワーク