当時の私は体育会ヨット部員
大学に入学した私はマリンスポーツがやりたくて体育会ヨット部に所属した。地元江の島で週末練習、長期休暇は週5で合宿所で共同生活をする生活だった。そのころ部活に女子プレイヤーは居らず、親友と2人でいつかレースに出ようと意気込んでいた。
だんだん月日が過ぎ、八王子と江の島を行ったり来たりする生活も慣れてきた。そんな時。大学の部活やサークルではありがちな【代替わり】を迎えた。簡単に言うと私は自我が強い、我が儘な一面がある。それが同じく自我の強い先輩とぶつかった。「どうしても納得できない、何故そうなる?不理屈だ。」でも、一番年下の私は勝てない。「ならもうこんな場所にいたくない、だけどどうしたらいい?そうだ、日本からいなくなればいいんだ。」そんな思いで、大学一年生の春休みの練習から逃げるために(もちろん理由は他にもあるのだけど...)オーストラリアのブリスベンに4週間語学留学を決めた。
英語なんて出来ない
県内トップの高校に通っていたにも関わらず、センター試験では150点台。(学年平均は180点台だったかな?)テストの追試は常連。単語テストなんてその日の通学で見るだけ。何よりも英語が嫌いだった。YES、NOしか本当に喋れなかった。
留学前には少し勉強していったおかげで6段階中4番目のクラスになった。多分少しはマシだったリスニングと筆記の点数が良かったのだろう。しかし、海外の授業は驚くぐらい自分の意見を求められる。ましてや、語学学校ゆえに自己紹介やなんやら話さなければいけないことが多く心が折れそうだった。「聞こえない。伝えられない。ついていけない。」そんな幕開け。
4週間私はどうなるんだろう。