Canpath
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22年後。まだ居ます。

お誘いを受けて、「うわ、おもしろそ~」と勢いで参加しました。
が、僕が「留学」したのは1994年です。
神戸地震やオウムのサリン事件の前の年です。

そんなクソ昔話をここでするのもな~と思ってたんですけど、まあ、何かの参考になるかもってことで、書きます。

まず22年前に留学した人は沢山いるとは思います。でも、22年後に「まだそこに居る」って人は少ないでしょう。
リアルタイムに留学されている方も、22年後にまだ自分がそこに居るというのは想像しにくいかと思います。

なんでまだ居るの?
ですよね。

それはもう「面白いから」に尽きるのですが、
じゃあ具体的に何がどうそんなに面白いの?
それは時間が経っても色褪せないの?いい加減飽きないの?って話を。

これ、結局「海外」なるものが何故面白いか?という一般論に通じると思うのだけど、
一切のシガラミがないことでしょう。
そして、「生きる」ってことの本質的な面白さが分かりやすいからだと思います。

無人島に一人で打ち上げられたようなものです。
とりあえず飲み水を確保しなきゃとか、栄養を取らなきゃとか、危険な動物がいないかとか、安全に寝れる場所を探さなきゃとか、、、、生きるために掛け値なしに必要なことが山ほどあって、そのどれもが大変で、うきゃ~とかいって格闘しているわけですけど、でも、それが楽しい。
まあ、やってる最中は「楽しい」なんて到底思えないでしょうけど、でも充実感はある。手製の釣り竿で魚釣り上げたりでもしようものなら、「おっしゃあああ!」だと思います。自己実現じゃん。

僕が最初に来た時は、ネットもクソもなく、携帯電話すらなかった(あっても巨大な自衛隊が使うようなマシンで月数十万かかった)。

だからこっちに来た時も、な~んもわからないまま、全部自分でやらなきゃいけなかった。
最初の宿だけ取ってるだけ、空港からタクシーでそこまで行ったはいいけど、「ここ、どこ?」の世界です。

夕方くらいになって腹減って、どっかで食い物を調達しなきゃってなって、でも地図もなかったし、地球の歩き方なんか全然役に立たないし(載ってるエリアが観光客向けの極小すぎる)。
とりあえず宿を出て、周囲を見て(住宅街のど真ん中)、カンで「よし、あっちだ!」で歩き出して。
途中で、「これ帰ってこれないかも」って不安になって、部屋に戻って紙とペンを取ってきて、四つ角になるとストリートの名前を書き込んで、、って、「手製の地図」を作っていきました。もうヘンゼルとグレーテルかって感じ。

直感はあたって、折しも金曜の夜でさんざめいてるニュータウンに出て。
シドニーって、どんどんお綺麗に軟弱になって、なんか日本みたいになってきてるけど(世界のどこもそうだと思うけど=文化スタイルの標準化)、その頃は今の2-3倍くらい”殺伐”としてて、なんか西部劇に出てくる街の現代版つか、思い描いてた「外国」そのもの。アジア人なんかまだ少なかったし(男性の靴のサイズの最小が27だったもんな)、どいつもこいつも図体デカくて進撃の巨人状態で。

「うひょー」とか思いながら、ビビリながらもスーパーらしい店にはいって、これがまた超薄暗くてヤバそうで、でも、肉らしきものをゲットして、、、、「おっしゃあ、食い物ゲット~!」って感じで。

家探しも、いきなりフラット借りたんだけど(海外ど音痴だったからエージェントにたのんでホームステイって発想すらなかったし、仕事の関係でファクスは絶対必要だったので)、「オーストラリアに家の賃貸という慣習があるのか」すらよう知らない、不動産屋ってなんて英語でいうのかも知らない。
Real Estate (不動産)なんだけど、何が「リアル」なのかさっぱりわからんかった。
でもショーウィンドウ一面にベタベタはってある物件の写真が日本の不動産屋を彷彿とさせたので、「これじゃない?」って思って、外の物件を見るけど、今度は読み方がわからない。
「PW」「BR」の意味がわからない、2BR、350PWとか書かれてても、「350パワー?なにそれ、消費電力のこと?BRって何よ?」と。でもじっと見てると「BR数が増大するとPW数も増大する」という比例傾向が分かり、「ベッドルームの略だ!」「Per Weekだ」って閃いた。

しかし、その店に入るのが超怖くて、入ろうかな、どうしようかな、入ってどうすんの?何をどう言えばいいの?全然わからんし、、、で、でも、やらなきゃ始まらないしで、「虎の尾を踏む」って表現があるけど、まさにそんな感じで店に入って、、、、入るまで20分くらいはビビってたと思いますね~。

そんな感じで何もかも手探りの無人島状態で始まって、大変で、大変で。
でも楽しい!
もうめっちゃ楽しい!
もうね、3日目くらいで日本に帰る気なくなっちゃったもん。

何がそんなに楽しかったのか?っていえば、もう「自分が生きる」ってことだけに集中してればよかったからです。
日本に居る頃は、もう仕事仕事仕事で、50件くらい切り回して、夜中の1時くらいに会議やって、元旦も働いてって感じで、それなりに充実もしたし、収入も良かったんだけど、自分の時間がないというか、まあそれでも自分の時間は死守!って感じでキープはしたけど、それでも

「自分以外の物事」で自分の時空間が埋め尽くされてしまう

って息苦しさは感じました。
それ以上にげんなりしたのは、「これ、一生やっていくの?」といううんざり感です。

変な計算なんだけど、95%の時間を自分以外のために使ってるなら、
人生が100年あっても95年は自分の時間じゃなくて、自分の時間なんか5年しかない
あと50年生きるとしたら、あと自分の寿命は2年半しかないじゃん!
再来年の次くらいにはもう死ぬってか?冗談じゃねーよ!って感じもありました。

この95%をシガラミと呼んだりするわけで、
そのシガラミによってメシが食えているって事実もありーのですけど、
でもねー、ちょっとねー、なんとかならんもんか?
とは思いましたね。
シガラミ再構築計画。

で、オーストラリアにぽんとやってきて、海外だー、何も知らんぞー、とりあえず今日一日生きなきゃねって世界では、数%のヨレヨレ自己時間が、一気にバコーンと100%になるわけです。

朝から晩まで自分自分自分のことだけ考えてやってりゃいいって感覚。
もう幼稚園かその前くらいの感覚。
遊ぶことが「仕事」だった幼児時代の感覚。
それがぶわっと蘇ってきて、もう何やっても楽しい状態。
いや超大変なんだけどさ、でも楽しい。

それをカッコよく言えば、「”生きる”ということにピュアになれる」ってことなんだろうけど、そんな風に活字にして思ってるわけではないです。
敢えて言えばそうだということで、リアルタイムには、
右の耳で「もう死ぐ~、やってられん」と悲鳴が聞こえて、
左の耳には「すげー、おもしれー、超たのしー」って歓喜の声が聞こえて、
頭のなかでミックスされて、分けわからないまま、ももも~って妙な発熱体になって、、、って感じですけどね。


あれから数えて22年ですが、もちろん22年がしゅっと矢のように流れるわけではなく、
起業だなんだでやって、ABNなにそれ?商号登録?とか、税金だ全員確定申告だ減価償却の耐用年数による減損比率?なにそれ?があって、車乗ったら後部追突されて、また怪我をしたら救急車で運ばれて、、、、新しい壁は次々に、本当に次々に出てくるのです。
その都度、うぎゃ~ってやってるわけで、でもそれが楽しい。

結局、思うに、別に海外でなくてもどこでもいいんだろうな。
そもそも「3年住んだら後は同じ」っていうか、「海外にいる」って意識なんか全然なくなるし、今では日本に帰る時の方が緊張してしまうくらいだし、
日本との距離感も縮まって、キッチンから奥の寝室に行くくらいの距離感しか感じてないし。

ただ、海外がいいのは、来た瞬間に一回完全にゼロリセットできる点です。
一瞬、シガラミがゼロになる。
だから、ゼロからまたどういうシガラミを構築していくか、全部自分で決められるってことです。

まあ、そのシガラミ構築がクソだったら、日本に居る時よりももっとクソになるわけだが、それでもチャラリセットができます。それが大きい。
それにシガラミ構築も、分けわからないまま勉強だ受験だ就職だでやらされてきた一回目よりも、二回目以降になると上手になります。
特にゼロから自営でやってれば、他人のことでありながらも自分のことでもあるってバランスが取りやすいです。時間の自由もきくし。

そしてゼロから無人島状態でやっていくと、「あ、別に生きてりゃいいんだ」って「悟り」も開けますよね。
生きて、あんなことやったり、立派な偉業を成し遂げたり、素敵なパートナーとめくるめく時間をすごしたり、、って、別になくてもいいのねって。
今日一日どわーとか、うりゃーとかやって生きてるだけで、こんなにも面白いものなのね。
食っちゃ寝、食っちゃ寝の猫がなぜそうしているか、なるほど、わかるわーって。


そのうえで、なんでシドニーなの?なんでオーストラリアなの?って理由もあります。
でも、長くなっちゃたので、それはまた次の機会に。
引き伸ばすのもなんだから、結論だけ書いておくと、オーストラリアって「国」っていうよりも、「世界」「地球」みたいなんですよね。国際線ロビーにずっといるって感じ。それがいいです。
シドニー在住民族はざっと200民族、さらに第一使用言語数は280にも及びます(同一民族でも使用言語が違うこともあるから)。
移民を受け入れるっていうよりも、移民しかいない(アボリジニ以外)もんね。地球人だけって感じで、そこがいいです。

この記事を書いた人

田村宏一
現在地:オーストラリア
出身は東京→川崎、京都、岐阜、大阪、そしてオーストラリア/シドニー 日本在住時には大阪で弁護士 1994年シドニーに語学留学 1995年オーストラリア永住権取得 あまりにも面白いのでそれを伝えたくて、当時始まったばかりのホームページ(aplac)を作って、まだやってます ぼちぼちメールもらって、それが縁でお世話してってやってるうちにそれが仕事みたいになってしまってます 1000人以上はお世話して、今はその人達とネットワーク作って又いろいろやろうとしてます 趣味はギター。一時期鬼のように弾いてました。ZEPとブランキーが好き。 来る前は、海外も数年住んだら飽きるかな、とりあえず10年くらいとか思っていたけど全然足りない!20年以上いても、新しい発見はあるし、知れば知るほど「俺、なんも知らんやん」って思う。100年でも足りないと思う。そのくらい面白いです。

無人島に一人で打ち上げられたようなものです。

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by ******************* 2015-07-24 既読

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by **** 2015-07-24

海外だー、何も知らんぞー、とりあえず今日一日生きなきゃねって世界では、数%のヨレヨレ自己時間が、一気にバコーンと100%になるわけです。

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by *************** 2015-07-24 既読

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by **** 2015-07-24