パース(perth)から1000km程離れたアウトバック(片田舎)を心のままに訪れ
まさしく写真のように美しい片田舎の風景(a picturesque rural scene)を観ながら、
過ごしていた時のことだ。
私は、WWOOF(World Wide Opportunities on Organic Farm )という制度を利用して、
牧場仕事を体験しながら農場生活をしていた。
早朝からロデオ会場にあるようなガッシリとした骨組みの柵を背負っては組み立てを繰り返し、
放牧されている牛(Bull)を集め、せっせと私達は柵の中へ牛を誘導していた。
牛を集めるのも結構大変な作業で、牧場(station)が何といっても東京都23区を全て含めてもまだ足りないほどの範囲が広さのなのだ。
ちなみにBull(ブル)は、オスの成人牛のことを意味する言葉で
エナジードリンクの名前で有名かもしれない。
また、中学・高校英語などでよく知られるCow(カウ)は雌の成人牛のことだ。
他にも世代や性別に応じてHeiferやCalfと呼び名が変わる。
スタッフから「その付近にHeiferとcowは何匹いるんだ」と聞かれ、
Heifer???
初めて聞いた言葉であり、戸惑ったのはいい思い出だった。
私がこの牧場で過ごしたのは、たった約2週間程と短期間だった。
しかしAustraliaいい部分を教えてもらった。
sydneyから家事手伝いをしながら旅をしているスイス系の老夫婦
牧場主の家族やjackaroo・jillarooとAustralianスラングで呼ばれる牧場手伝い達との日々は充実していた。
子ども達の英語は、大人に比べてスラングも少なく方言もあまりない。
けれど他の大人達の皆は、方言もかなり強く、日本人の私にでさえ英語力が乏しくても躊躇なく
ネイティブスピードで話しかけてくれた。
あまりにも話す内容を解釈ができなかった時は、漫画のように「?」が頭上に飛ぶことが多かった。
しかし耳とは恐ろしいもので少しずつ聞こえる時があった。
これは、私のリスニングスピードの成長につながった。
また、食事や食後のティータイムなど日常の会話をする彼らの会話を聞いていると、
「明日の休みは、バーに行って飲んでそのままperthまで行って遊んでくる」
と休日の過ごし方を楽しく話していた。
このように日本と話すテーマが大きく変わらないなと感じ、
こういう時は聞き取れない単語があったとしても会話の予想ができるので、
ジョークや笑いどころも感覚的に無意識につかめるので楽しい一時であった。
日本人が牧場仕事にやってくるのが珍しいのかもしれない。
「ken」とEnglish nameで自己紹介した翌日には、アダ名が「kenny」や「Fukushima」になっていた。
当時、彼らは中々のブラックジョーク言うんだなと思った。
よくよく考えてみると
Australiaのことをよくわからない日本人が、彼らに「コアラ」とニックネームをつけることと
同じレベルのことだったのではなかろうかと思う。
彼らとは“G’day”と毎朝6:00にやってきて一緒に仕事前のcoffeeを飲んだり、
“mainly”が「マンリー」しか聞こえなかったりと些細な困りごとはあっても、
とても人間味あふれる生活ができた。
sydneyとはまた異なる気持ちとなり、改めてAustraliaにきたんだなと感じられる場所だった。
味噌樽の上澄みを掬った溜り醤油のようなもので、美味しいけど全てでない。
外国人が、東京・京都だけを観光しても日本の全てをわかることができないだろう。
もし彼らが日本を観光するなら、私は都会から外れた港や山岳の生活や景色を伝えたいと感じた。
色々なAustraliaの側面を知る機会になったなと思った日々でした。
sydneyから旅をしている老夫婦とは、スイスのことはもちろんsydneyについて話をすることが多かった。
sydneyのことを話していると不思議なもので、勝手ながら自分の第二の故郷のように話していた。
たった3−4ヶ月の滞在の街であったが、日本の故郷のように心を癒やす場所であったのだろう。