Canpath
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華やかな女性たちは平和を作るか?

僕は歩いた。夕日はすでに山の向こうに落ち、空はだんだんと暗くなってきている。地図も持たず、ただ自分の興味の赴くままに、大通りを、路地を、ひたすら歩く。なんて自由なんだろう。アフガニスタンから研修のため訪れたタジキスタンのドゥシャンベで、僕は外を自由に歩くということの幸せさを噛みしめるように歩き続けた。風に揺れる木のざわめきや、小さな公園で戯れる子どもたちのはしゃぐ姿が、どうしようもなく僕をセンチメンタルにさせる。

アフガニスタンから国境をまたいだだけで、こんなにも一般治安情勢が違うという意味がわからない。大きな戦闘が今も続いているクンドゥズから飛行機で30分かそこらの距離なのに、ここドゥシャンベでは、なぜだろう、夜にひとりで歩いていても何ら危険な気配はない。僕の頭はその疑問に勝手に理由を見い出そうとする。比べないようにしようと思っても思っても、やっぱり駄目だ。

タジキスタンでは女性がとてもカラフルに着飾る。こんなに女性の服装が派手な国は来たことがない。アフガニスタンで女性を見る機会が異常に少ないのと比べると、これが理由か?と思えてしまう。自分が男だからかもしれないが、女性が周りにいるという認識があると、男の性(さが)として格好つけたくなるということを知っている。いや、格好つけるというところまでいかなくても、女性に嫌われることを避けるために、品のない行動への自制が働く気がする。これはごく普通の反応で、女性の存在が掻き消されているためにこの反応が鈍ってしまうのだろうか。

しかし、本当にそうだったとしても、それがある種の方程式のように、女性の社会進出=平和としてしまっても良いものかどうか、僕にはわかりかねる。というより、そういった方程式はものの見方を狭める気がする。それにあのとんでもなく平和な日本は、例えば犯罪が比較的多いフィリピンより女性の社会進出が進んでいるとは到底言えない。世界は驚くほど多様性に満ちていて、もしアフガニスタンがアフガニスタンなりに平和になれば、それはそれでひとつのオルタナティブになると思うんだ。それが女性の幸せに繋がるかどうかは別として。

僕は同僚と一緒に、ドゥシャンベのとある高級ホテルで開かれたファッションショーに行ってみた。人生で初の体験に緊張する。普通のタジキスタン人に輪をかけて煌びやかで華やかな衣装の女性たちが颯爽とキャットウォークを歩いていく。僕はこんな雰囲気、好きだなぁ。

この記事を書いた人

一風
現在地:ミャンマー
オランダの大学院を出て人道支援を始める。現在国際機関に勤務。

一風さんの海外ストーリー