Canpath
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みんなちがってみんないい

12月を迎え、ほとんどの授業が終わって冬休みに入ろうとしています。
アメリカに来てからの3か月で感じた、日本とアメリカの考え方について書いてみたいと思います。

同質性か、異質性か

考え方を大きく二分した際に考えられる分類の一つが、同質性と異質性という違いではないかと思います。

日本人は言うまでもなく同質性を好みます。
和を大切にし、周りの意見に合わせ、周囲と違うことをすると悪目立ちしてしまいます。
「出る杭は打たれる」文化だと思います。

でも、アメリカでは和よりも個人が重んじられ、流行やよりも個性を大切にしている印象があります。

留学前、日本の同質性に私は強い疑問を抱いていました。
一人一人に個性があってよさがあるのに、なぜ自分を押し殺して周りに合わせることが美徳になるのか、不思議に思っていました。
でも、少しその傾向の理由が見えてきた気がします。

アメリカではほんとうに多様な人がいます。
人種も肌の色も宗教も違う人々。文化も習慣も違って考え方も違う。
そんな中で同質性を見出して一つの方向性に向かわせることはとても難しいのです。
それはそれぞれの個性や文化の軽視になりますし、どうしても一筋縄ではいかない点が多いのです。

日本はというと、そもそも同質性が強い。
たいていの人が同じ人種、肌の色、宗教。出身は日本で文化と習慣の違いは地方による違い程度。
相違点より類似点を見つけることの方が容易で、少数派になるより多数派になる方が容易なのです。

このような背景を考えると、アメリカは異質性、日本は同質性を重視する傾向の必然性のようなものが見えてくる気がします。

個人主義と集団主義

アメリカは個人主義、日本は集団主義、とよく言われます。
それがどう生活や教育、行動や思考に影響しているのでしょうか。

アメリカで感じたのは、個人の意見や個性、それぞれの違いが重んじられるということ。
授業においては発言がとても多いです。
意見や質問があれば先生や周囲の生徒を気にすることなくそれを主張します。
初めてその光景を見たとき、まるで日本の小学校のようだと思いました。
どう思われるかではなく自分がどう思うか。
みんなが納得しているかではなく自分が納得しているか。

このような傾向はアメリカでは小学校の頃から一般的なようです。
友人に聞くと、エッセイを書き始めたのは小学3年生ごろからだと言っていました。
夏休みの絵日記や感想文のようなものではなく、自分の意見を書くことを求められるそうです。
こちらで英語の授業を取っていてその先生にも言われるのですが、「一般的にはこう言われている」という書き方は好まれません。
それで、あなたは何を思ったの?
どうしてそう思ったの?
その根拠は?
といった調子で自分しか書けない自分のエッセイにすることを求められます。

日常でいうと、集団で行われるイベントや集会においても集団のしばりがゆるやかで、誰でも歓迎、というスタンスを強く感じます。
地域の団体や教会が主催するイベントにも参加したのですが、その宗教を信仰していなくても来たこと自体に対してよく来てくれたね、また来たいときに来たらいいよ、と言われます。

多様性や個性を重んじる私にとってアメリカの傾向は素敵だと思う点が多いのですが、デメリットもあります。
それは集団として物事をやり遂げることが苦手だということです。
よくボランティア活動に参加するのですが、スタッフに聞いても仕事が分からないことが多いです。
それぞれの時間を大切にすることもあってか片づけは驚くほど速いのですが、連携がうまくいっていないので準備に時間がかかります。
事前の打ち合わせはあまりなく、ぶっつけ本番であることが多いためハプニングも多発します。

その点、日本人は緻密に予定をたて、その通りに進めることに長けていると思います。
周囲に気を配り、小さな問題にも気づきます。
共助で物事が進むので連帯感が強いです。

個性が埋もれてしまうことは残念なことではありますが、集団としてのまとまりも大切で、甲乙をつけるのではなくそれぞれの長所を生かすことが大切なのだと思います。

多様性

アメリカには日本とは違う前提が多くあります。
その一つが多様性だと思います。
前述のように、人種や肌の色といった外見上の違いから信仰や文化的背景といった内面上のものまで実に多様です。

幼児教育の授業を受けた際にその違いが際立つ出来事がありました。
その日の授業は「小学校就学前の子どもたちに多様性をどう教えるか」というテーマで、3つのグループに分かれてロールプレイを行いました。
①人種や肌の色が異なる人、障がいを持つ人について
②家族形態の違いについて
③ジェンダーとそれに対応する役割について

相違点と類似点とを認識させる方法が私にとってとても勉強になりました。
①~③に共通していたのは、絵本を用いる方法でした。
絵本の中で、どれが自分や自分の家族、他の人のそれぞれに近いかを気づかせ、多様な人が存在することを認識させます。

①で興味深かったのは、花を用いる方法でした。
マーガレット、ユリ、ポピー、カーネーション…
一人一人が異なる花で色も形も手触りもにおいも違う。
でもみんな同じ花。
ばらばらでも綺麗ですが、花瓶で一つになるともっと華やかになる。
みんなそれぞれよさを持っている、それを押し殺し合う必要はないんだと気づかされる例えでした。

日本とアメリカには様々な違いがあって、時にそれらは良くも悪くも見えます。
でもそれらの違いは表面的に分かる物事だけでは語れず、複雑な背景が絡み合っているものです。
自分のあたりまえの感覚をなくすことが大切だと思っていましたが、そうではなく、自分の持つその感覚を自覚した上で異なる文化をどう捉えるかが大切なのだと今は感じます。

この記事を書いた人

Kayo Matsunaga
現在地:日本
福岡県出身 九州大学 教育学部 社会教育、生涯教育、大人の学び直し、あそび、公園 パン屋めぐり、散歩 トビタテ!留学JAPAN 3期生 シアトル、コミュニティカレッジ スウェーデン、デンマーク、フォルケホイスコーレ

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