Canpath
3987 views
1 応援!
0

Hello! South Africa ヨハネスブルグ到着

アフリカ大陸初上陸!!

12654692_1137183009625653_1617502544131692931_n.jpg
こんにちは。
私は今南アフリカのヨハネスブルグにいます!
乗り継ぎを含めた総移動時間は24時間!!!丸一日かかりました。長かったー。。。
よって昨日の食事はすべて機内食。笑

「アフリカ」って日本人からすると地理的にも心理的にも遠い国ですよね。
なかなか行く機会がない人も多いはず・・・・そこで、せっかく南アフリカを旅行するんだから多くのひとに自分の体験を共有したい!と思い、記事を更新していくことにしました。
ちなみに今回は一人旅です涙(笑)

1.飛行機での出会い―27年ぶりに帰国するインド系南ア人女性の話―

 まず、乗り継ぎ地であったドーハから南アへ向かう飛行機のなかで隣になった、とある女性のストーリーを共有します。私が彼女と話をはじめたきっかけは、「南アで勉強しているの?」と話しかけられたことでした。彼女に旅行で来たことを伝え、同じ質問をしてみると「私は27年ぶりに南アフリカに帰るの」という思わぬ返答が…
  
 よくよく話を聞いてみると、彼女は現在44歳で、17歳だった1988年に南アからカナダに移住したインド系女性であるということがわかりました。彼女が生まれた1970年代は、アパルトヘイトのまっただなかで、例えば1976年には南ア政府が導入した人種差別的教育政策に反対する大規模な暴動事件(ソウェト蜂起)がヨハネスブルグのソウェト地区で起こっています。この暴動は、アフリカーンス語(アパルトヘイト政策を実施した国民党を構成するアフリカーナーと呼ばれる白人層が話す言語)での教育を強制させる法案に反発する学生が中心となって起こされたものでした。実際、このインド系女性も話せる言語はアフリカーンス語と英語だと言っていました。彼女の母親もアフリカーンス語を話すので、「自分の子供に聞かれたくない秘密の話をするときは母親にアフリカーンス語で話しかけるんだ~ハハハハハハ」と笑っていましたが、南ア史を勉強していた私にとっては非常に感慨深い話でした。

 また、彼女に当時一番つらかったことを尋ねると、図書館に入れなかったことだと話していました。読みたい本があるのに、アパルトヘイト政策のもとでは自由に図書館に入ることもできなかったそうです。そのときに初めて政治的な怒りを覚えたと言っていました。高校も人種ごとに分けられ、彼女はインド人専用の高校に通い、病院に入るにも裏口の非白人専用通路を使わねばならなかったそうです。
 私自身、アパルトヘイト経験者の生の声を聞くのは今回が初めてだったので、とても良い経験になりました。そんな話をしているうちに、15時すぎにはヨハネスブルグのオリバータンボ国際空港に無事到着!!!!ここから南アの旅がはじまります。

滞在先のホテルについて

 ヨハネスブルグでは、サントン地区のプロテアホテルバラライカサントンに宿泊しています。このサントンと呼ばれる地域には、高級ホテルや会社が密集しており、比較的治安がいいことで有名です。ホテルの写真がこちら↓
12661819_1137182716292349_8903689078628071881_n.jpg
12705578_1137182869625667_5203159961901728026_n.jpg
ヨーロッパの雰囲気が漂ってます。
ホテルのホームページによると、このホテルは第二次世界大戦後の1948年にイギリスの海兵隊員が開いた喫茶店から始まったそうです。海兵隊員がこの地域にあった茶畑を気に行って妻とともに移り住み、ホテルを開業したといわれています。ホテルの内装はたしかに欧州的!そしてホテル内にはColonyと名付けられたレストランが…笑
そんなホテルですが、きれいで快適に過ごせています。

それでは、今日の更新はここまでにします。
次回の更新をお楽しみに!!
読んでいただきありがとうございました。

参考サイト

Protea Hotel Balalaika Sandton "Balalaika History"
http://www.balalaika.co.za/history2016年2月9日アクセス

この記事を書いた人

Yukina Furukawa
現在地:日本
Yukina Furukawa

Yukina Furukawaさんの海外ストーリー