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世界一危険な都市は活気で溢れていた!?

こんにちは。
このブログ更新も3回目になりました。今日の記事は書きたいことがありすぎて、きっと長くなってしまうと思いますがご了承ください笑

 ヨハネスブルグ滞在3日目は、ダウンタウンと南ア最大のタウンシップSowetoの観光に行ってきました。ヨハネスブルグのダウンタウンは犯罪率が高いため、世界一危険な都市と言われることが多いです。実際、地元の人でも夜は絶対に出歩きたくないと言っていました…そんなダウンタウン中心地ですが、行ってみると様々な発見がありました。

ヨハネスブルグ中心地

 ダウンタウン観光の際に私が使ったのはSightseeing Johannesuburgという赤い二階だてのバスです。このバスは、ヨハネスブルクの主要な観光地を巡回しており、それぞれの停車駅では乗り降りが自由となっています(チケットを持っていれば何回でも乗れます)。さらに音声解説も含まれているので、街を見ながらヨハネスブルクの歴史なども知ることができます。このバスで市内をまわっていると、反アパルトヘイト活動家として有名なウォルター・シスルの家や、インド独立の父マハトマ・ガンディーがかつて法律事務所を開いていた場所(ガンディーは南アに弁護士として赴任してきたときに人種差別を体験したことで反英闘争に目覚めた)、黒人に義務付けられていたパス(身分証)を発行していた建物などを見ることができます。
↓ガンディースクエア 現在ではガンディーの功績をたたえて像がたてられています。
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 私はこれまでサントン地区(ヨハネスブルグ郊外の高級住宅地・ホテル・ビジネス街)にいたので、ダウンタウンを訪れるのは今日が初めてだったのですが、ここに来た途端ダウンタウンの活気に圧倒されました。商売人や飲食店で話す人々、街中を行きかう大勢の人から大きなエネルギーを感じました。途中でバスから降りて、街中を少し歩き食事もダウンタウンでとりました。
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世界一危険と言われるヨハネスブルグのダウンタウンですが、昼間は危険なこともなく、多くの若者が集う活気あふれる素敵な街でした。

Soweto

 そして、このダウンタウンをあとにして私が向かったのがSowetoです。Sowetoは、South Western Townshipの略で、南ア最大のタウンシップ(アパルトヘイト時代に人種ごとに移住させられた居住区)として有名です。よく、アパルトヘイトが題材の映画ではマッチ箱のような小さな家や電気・水道の整備されていない家などが映し出されますが、それらの住宅が密集しているのがSowetoに代表されるタウンシップです。アパルトヘイト時代、政府は各人種ごとに居住区を指定し、非白人の人びとを強制的に移住させました。その地域一帯は基本的に貧しく、困難な生活を強いられていたことで知られています。そしてアパルトヘイトが終わり、住む場所が自由に決められるようになった現在でも、Sowetoには多くの人が暮らしています。
↓車でSowetoの中を走りながら撮った写真です
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↓Sowetoの入口
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 私はこれまで、アパルトヘイト関連の書籍を通してしかタウンシップについて知ることはありませんでしたが、今回初めてタウンシップを生で見て少し違和感を覚えました。それは、自分の思い描いていたタウンシップと実際のタウンシップが異なってみえたからです。
私は、Sowetoにある多くの家がトタン屋根で小さく貧相な姿をしていると思っていました。
しかし実際に見てみると、確かに家は密集しているものの立派な家も多く、「マッチ箱」と形容されるような家はほんの一部のように感じました。しかしそれは、Sowetoの中にも貧富の格差があることを物語っていました。実際、映画『ツォツィ』の撮影で使用されたという地域にあった住宅は、文字通りマッチ箱で電気も通っていないようでした。
ガイドをしてくれた方に話を聞くと、比較的大きくて屋根にソーラーパネルがついている家は政府が建てたものだということでした。もちろん、立派といってもサントン地区にある家々とは比べ物になりません(サントン地区の住宅は豪邸レベルが多い)。
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 南アの元大統領ネルソン・マンデラと反アパルトヘイト活動家でありノーベル平和賞受賞者のデズモンド・ツツが暮らしていた家もこのSowetoにあります。二人の家は、同じフィラカジストリートという通りに位置していることから、ここは「ノーベル賞受賞者を二人生んだ通り」として有名です。マンデラの家は現在解放されていますが、ツツ司教の家は親類が住んでいるとのことで門のみ見学することができます。↓マンデラの家
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 ほかにも、ソウェト蜂起(黒人の学生が中心となって起こした人種差別的な教育政策に対する抗議運動)で警察による無差別発砲によって亡くなった13歳(当時)の少年ヘクター・ピーターソンの記念碑や、アパルトヘイト反対運動の中心となったアフリカ民族会議(ANC)によって採択された自由憲章の石碑などを見ることができます。
↓ヘクター・ピーターソンの記念碑。流れる水が犠牲者やその家族の涙を、それぞれ形が異なっている石は巻き込まれた人々の多様な年齢層をあらわしているそうです。
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 私がSowetoに滞在したのはほんの2時間でしたが、この地域で様々な歴史が動きアパルトヘイト撤廃への活動が行われていたのだという事実を再確認することができました。Sowetoに行ってから滞在先のホテルがあるサントン地区に戻るとなんともやるせない気持ちになります。二つの地域はほんの少ししか離れていないにも関わらず、Sowetoとサントンの雰囲気はまるで違う国のようです。ただ、Sowetoもダウンタウンで感じたような活気や大きなエネルギーに包まれているような気がしました。

サントンに戻って

 この日は、サントンに戻るとすぐにネルソンマンデラスクエアに行き、ヨハネスブルグに住む友人と夜ごはんを食べました。ヨハネスブルグの治安状況や仕事について話をしましたが、南アは午後4時すぎには仕事が終わるそうです(うらやましい)。たしかに、ネルソンマンデラスクエアに隣接しているオフィスビルを見てみると、17時の時点でほとんど部屋の灯りが消えていました…。
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以上で本日の更新は終わりです!!
長々と書いてしまいましたが、読んでいただきありがとうございました!!

この記事を書いた人

Yukina Furukawa
現在地:日本
Yukina Furukawa

Yukina Furukawaさんの海外ストーリー