Canpath
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Boys be ambitious

Future cannot be predicted.

高校を卒業したらそのまま大学に入って、4年間で卒業して、22歳で就職して、入った会社でずっと働くと思っていました。大学でお勉強は終わり、あとは社会に出て大人になるんだ、ってついこの間まで思っていました。誰に教わったわけでもない、でもなんとなく。高校卒業で青春が終わって、夢ってなんだっけ、現実=労働、大人になるってそういうことだって、大学3年生まで思っていました。そんなときに少し人生考えてみるか、と一年間休学してオーストラリア・ブリスベンにあるグリフィス大学に留学することにしました。

オーストラリアの大学のクラスルームは、人種・肌の色・文化が違うのはもちろん、それ以上にいろんな人がいました。20歳の学生もいれば、子供もいて警察官をやっている50歳のおじさんもいれば、経営者のお兄さんもいたり、一旦働いて大学に入りなおした28歳のお姉さんもいたり、年齢も、経歴も、バラバラの人たちばかりでした。授業中に50歳のおじさんと18歳の男の子が喧嘩レベルの討論をしたかと思えば、休み時間になると仲良くタバコを吸いにいったり・・・私にはとても新鮮でした。彼らに話を聞くと「この学問が勉強したいから」といった答えが返ってきます。私の中のふつう(一番偏差値の高いところに入った)なんて答えるひとは誰一人いません。彼らがいつも私に聞いてきたことが、”What do you want?”でした。面白がって何回も聞いてきました。毎回私は答えられなかった。

大学に二学期通い終わってオーストラリアでしかできないことをしたい、そう思った私は、資源系の会社で働きたいと思うようになった。就活をした。しかしここでは私は英語はしゃべれるといってもネイティブレベルではない、下手な英語。職務経験はなにもない。学歴という盾もない。どこも私の履歴書に目を通してくれなかった。「英語が下手な留学生」でしかなかったから。最後の最後に日系企業で興味を持ってくれた人がいた。私に何かを感じたと言ってくれた。

石炭の海外販売の部署で4か月必死に働いた。会議は専門用語が並び、大学授業で鍛えられたと思っていたリスニングへの自信もへし折られた。毎日下手な英語で雑用をやってまわって仕事を集めた。質問はわかるまで聞いた。毎日が闘いだった。徐々にオーストラリア人の同僚たちが認めてくれるようになった。たくさんの仕事をもらえるようになった。会議でも意見を求められるようになった。鉱山の出張見学にも行った。会社にも、学生がたくさんいた。彼らは自由で、大学を4回も卒業している人もいたり、オーストラリアが気に入ったからここで就職している、なんて同僚もいた。彼らは飲み会で同じように私に”What do you want?”と聞いてきた。

いまだにこの質問にはうまく答えられない。ただ、今はオーストラリアで見た鉱山にもう一度仕事で行くことが目標。そのためにオーストラリアに鉱山を持っている会社で大学卒業後は働くことにした。なんでここまで鉱山にこだわるのか自分でもわからないけど、オーストラリアで鉱山に行ったときにここだ!って思ったから。

オーストラリアの大学、アルバイト、インターンを通して見えてきた「世界で働く」こと。高校生の時に漠然と考えていたことが、どんどん現実味を帯びてきている。年を取るって夢と現実がかけ離れていくような気がしていたけど、そんなことはない。勉強はつまらなくて、大学で勉強が終わるわけじゃない。欲しいものが見つかったら、それを得るために何をすべきか。もしかしたらそれは日本でできることかもしれないし、できないことかもしれない。できなかったら、場所を変えればいい。世界で働こう!自分で考えて自分の未来をつかもう!こんな風に思える自信をくれた、オーストラリアで出会ったすべての人と出来事に感謝を込めて。最後に、オーストラリアのボスが私にいつも言っていた言葉で終わります。

Boys be ambitious!

この記事を書いた人

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Hanna Yasu
現在地:日本
豪州に留学してた人。

Hanna Yasuさんの海外ストーリー