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クルバン・バイラム(犠牲祭)

10/3からクルバンバイラムが始まった。これは、イブラーヒムが進んで息子のイスマーイールをアッラーへの犠牲として捧げた事を記念するイスラームの祝日であり、ラマザン(断食)と並んで、人々にとっても様々な意味で重要な意味を持つ行事だ。
当然、大学も休みになる。当初はこの休暇を利用して、国内旅行へ出ようかと目論んでいたのだが、日本語学科の友人の親父さんが、「よかったら、クルバン休暇は私の故郷に一緒に来ないか」と誘ってくださったので、友人の帰省についていくことにした。イスタンブルの彼の実家から、元警官のお父さんの安定感抜群の運転で車をぶっ飛ばすこと3時間、一家4人+私で、お父さんの故郷、Kırklareli(rとlの使い分けが苦手な日本人にとって一番発音しにくい地名かも…)へ向った。

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我々が到着したのは夜遅く。一家の最長老のおばあちゃんと伯父さん一家が暖かく迎えてくださった。
翌朝には、一族がゾロゾロと集まってくる。誰かが到着するたびに皆一斉にソファから立ち上がり、手にキスをして、抱き合い、再会を喜びあう。そして、砂糖をたっぷり入れたチャイを片手に互の近況を報告しあう。ひとりひとりが、実に幸福に満ち溢れた表情をしており、トルコの家族の結びつきの強さを実感する。
それでいて、決して家族水入らずという雰囲気ではなく、家にやって来る一人一人が、外国人の私に対してもほかの家族と同様に前述の挨拶をかわし、「よく来たね。」と言葉をかけてくれる。

そして、一族全員揃ったかというタイミングで、お父さんの「さあ、バイラムを始めよう」の一声で、ついに本編スタート。
ジャイアンツの選手が勝利後に、ベルトコンベア式にハイタッチの儀式をするあの要領で、一人一人と抱き合い、握手をする。先頭で皆を迎えるのは原監督…でもなく、ジャビット君…でもなく、最長老のおばあちゃん。
それが終わると、朝昼兼用のごちそうをいただく。これがまた、豪華なものである。
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風習で、「クルバンで切ったお肉を朝の食事でいただくのが望ましい」とあるように、ファスリエという豆と一緒に煮込んだ羊肉のスープ、鶏肉と炊き込んだご飯、自家製のバクラヴァ(パイのはちみつ漬け)などを皆でいただく。なにしろ17人の大宴会なので、見たことのないような巨大なパンを切り分ける。

彼らにとって、クルバンの醍醐味はこれだけではない。お父さんと友人と私と、道端のベンチでのんびりとチャイを飲んでいると、次々にお父さんの幼馴染達が私たちに声をかけてくる。そして、旧友であるお父さんとの再会を喜び、長話をして去っていく。そのなかには、街の市長さんもいた。バイラムの時期には、皆が生まれ故郷に戻るため、我々の帰省のように「じゃあ5日の17時に博多駅で!その後もつ鍋でも食べよう」などとメールをし合わなくても、必ず会いたい仲間に会えてしまうのだ。

父方の親戚だけではない。母方の親戚とも会い、今は空家となったお母さんの実家を親戚皆で協力して掃除し、近況を報告しあう。

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お父さんが、クルバンバイラムの意義について、教えてくださった。起源は冒頭で述べたとおりだが、①アッラーに生贄を捧げる。②親戚が一斉に会し、絆を確かめ合う。③お墓参りをし、祖先への感謝を噛み締める。④動物を自ら切ることで、自分たち人間は沢山の命の犠牲の上に成り立っていることを実感する。などなど。

我々が、食前食後に「いただきます」「ご馳走様」を言ったり、お盆やお正月に親戚で集まるように、実践の仕方は違えども、目的は同じなのだな、と改めて実感した。

日本でイスラームというと、我々の日常とかけ離れた戒律や、一部のいわゆる「過激派」など、ネガティブなイメージが先行しがちだが、イスラームの文化は知れば知るほど、我々の伝統的価値観と非常に相通じるものが根底に流れていることを実感できるものだ。

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多くの人びとがもっとイスラーム文化に関心を持ち、現地に足を運び、現地に友人をつくり、偏見や誤解を解いて欲しいと切に願う。

多様な価値観、信念を持った人類の共存に、こういった「kürtür alışveriş(文化の交換
、交流とでも訳そうか。この友人のお父さんがよく使う、私の大好きな言葉だ。)」がどれほど資するかは私には分からない。

もともと、イスラーム文化に偏見を持った人間がこれを行うならいざ知らず、元から興味を示している人間がこんなことをしているのだから、どれほどの意義があるのかはますます分からない。

ただ、一滴の水程度のものだとしても、無駄にはならないと信じている。一滴の水がないと、大海にはならない。

人間の安全保障は、国際政治や国際法の進歩だけでは達成されないと思う。

この記事を書いた人

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Masato Yakabe
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from Tosu-City of Saga Hobby; Watching baseball game, listening to music, talking with people, reading a book about Islam, Model United Nation activity

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