今年の4月までの私にとって将来女性としての幸せとは、大学院を出て歳をとる前にとりあえず社会に出てさっさと結婚して仕事を辞めて家庭に入ってしまうことだと考えてた。その前までは大学院でもっと勉強して、とか色々思ってたけど何でもいいからもう誰かのものになってしまえば言いと思ってた。それが多分幸せなんだろうと。悲しいことにそれ以上の夢が無かったし、どうでもよかった。
3月に当時やっていた留学生のサポーターの仕事で担当の人と面談をする機会があった。先述のような考えとただオーストラリアに行ってしまいたいという漠然とした気持ちを抱えて、「なんだかもう何をしたらいいか分からないんですよね~」「とりあえずなんか結婚しちゃえばいいかな~みたいな」なんていうようないかにも頭の悪そうな話をしてきた。
そんな私とちゃんと面談してくれたSさんは歳をとってもイキイキとしていてなんだか魅力のある女性に見えた。オーストラリアで働いていたという経験も持っていていろんな話をしてくれた。その中で私はSさんの”女性の幸せ”の考えに痛いところをつかれる。
結婚して産まれた子供が大人になって放れて行った時、「母」ではなくて「一人の女性」にまた戻る時、そこに残っているものがあることが幸せだ。
Sさんはオーストラリアで日本語教師をしていたときに出会った日本人男性と結婚した。そこで、夫の仕事上日本に帰らなければならなくなり自分の道を捨ててきた。その後、子供に恵まれ「母」としての人生を送るが、私ぐらいの年齢になって子供が自分の手を放れたときに自分にはやりのこしたことがあると感じたと言った。それを達成するためにもう一度大学院に入って研究をして修士を取得。今は英語教師と同時に留学生をサポートするような相談員もやっている。「一人の女性」として輝いている。
”結婚を求めてしまうのではなくて、夢・自分の道を追って生きていく中で、その中で時がくれば必ずあなたにとって魅力的で、あなたを魅力的だと思ってくれる人が現れる。そうなったら結婚すればいい。誰かに最初から人生を放り投げてしまうのはもったいない。”そう言われて、根拠も何もないけれど確かにそうだと思った。このままでは、Sさんのいう時が来た時に自分には何も残らないことが確信できた。そしてそれがとても寂しいことだと思えた。
このきっかけから約半年。今の私には夢がある。私のことを支えたいと言ってくれた人が、「もうついていけないよ!」なんてお手上げしてしまうくらい。「強くて、遠い存在に感じる」と呆れられるくらい。参加するプログラム自体の奨学金生、そして日本代表としての奨学金生に幸運なことに選ばれ、漠然としていない、具体的な目標をもった一年をあれだけ夢見た場所で送れることになった。
あの日の面談が私を変えた。私は幸せを必ず手に入れる。