表題については先週来てからずっと思ってたこと。
まずは到着から。こんな感じ。。。
到着
11月30日午前9時。僕はバングラデシュの首都ダッカに到着した。
既に体は疲労困憊。前の滞在地・セブでの28日の夜から30日の朝まで僕はまともな睡眠を取っていなかった。
In 30th November, I arrived at the airport in Dhaka (Bangladesh).
Already I was tired. I haven't slept from the night in 28th in Cebu, which I was staying 2months, to the morning in 30th.
29日の早朝5時、僕はセブの空港で乗るはずの飛行機が運休になったことを知り、自分の予定が狂い始めていることを知った。
At 5:00 am in 29th, I knew that a flight which I must have rode is not available and my plan starts changing.
(この道程もなかなかなのですが、割愛します。)
インターン先
バングラデシュではあのグラミン銀行でインターンというかスタディツアーのようなプログラム(公称ではインターンです。)に6週間参加する予定で来た。
正直言ってわくわくしている自分がいた。創設者 ムハマド・ユヌスは自分にとって憧れの存在でもあったから。
In Bangladesh I was planning to study in Grameen Bank, which is very famous all over the world. The times would be 6 weeks.
Honestly I was looking forward. The founder, Muhammad Yunus is one of the person I admire.
グラミン銀行・・・?
グラミン銀行を簡単に紹介すると「世界で初めてマイクロクレジット(超小口融資)を農村部で実施し、極貧とも言われたバングラデシュの生活水準を向上させた貧しい人専用の銀行。2006年にはノーベル平和賞を獲得。」
つまり貧しい人たちにもお金を貸して貧困削減を実現した機関であるということ。
Grameen Bank..... It is a bank in Bangladesh, which introduced "micro credit" to village areas and it was successful to reduce poverty. At 2006 it won "Novel Peace Prize".
It is a facility that lend the money even to poor people and realized to reduce poverty.
あれ?なんか違う
グラミン銀行に何とかたどり着き無事研修を受けられることになったが、様々な困難が。。。
一緒に学ぶ人たちは修士論文のため訪れたイタリア人2人とインド工科大学のインド人1人。
おお仲間がいる、と安心したのもつかの間。
おかしい
英語が聞き取れない
笑い事ではなくインド人の英語もイタリア人の英語も訛りすぎてて本当に聞き取れなかった。コーディネーターのバングラデシュ人の英語が1番聞き取りやすかったのだ。
しかしなぜかイタリア人とインド人はコミュニケーションが取れている。。。
みんなが笑っているのに分からない自分。
しかし今回の研修の目的はグラミン銀行について知ること!とにかく勉強しよう、と気を取り直す。
・・・・・あれ?
眠い
実際のところグラミン銀行はバングラデシュ社会を変えたし、グループ会社を作ることで多くの雇用も生み出している。(ユニクロやダノン、雪国まいたけらと協力している)
なので自分も社会をどう変えたか、やどんな困難があったか、イノベーションとは、みたいな漠然とした話を期待していた。
しかし出てくる話は、ほぼローンの話(お金の話)。バリバリの金融系にも理論経済にも興味が無い自分(専門は実体経済)には退屈すぎたし、面白さが分からなかったのだ。
しかしイタリア人は論文を書きにきているのでもちろん数字は必要だし、インド人にいたっては「ゲーム理論」という理論の権化が専門なので、みんな興味津々。
ここでも置いてけぼりを食らったのだ。
ここで思ってしまったのだ。
なんで来てしまったのだろう?ここに
It was a little bit difficult for me to communicate with those people who can't speak English as a mother tongue.
And the content I expected to Grameen Bank was also different.
So I thought "why did I come here?"
バングラデシュに特別会いたい人がいるわけでもなく、むしろ友だちは0。
グラミン銀行は自分が求めているものではなかった。
ネットもつながりにくければ、日本人の知り合いは0。人々は英語を話せず、町は喧噪に溢れ、時折イスラム教特有のサイレンが鳴り響く。
無理だ
率直に、思った。ここで何かをできる気がなかった。
街を散歩しては無理して笑顔を作り、おいしくもない果物を買い、ちょっとしたことに心を動かされた。
Are you OK? 3日目のコーディネーターのこの言葉に僕は泣き出す寸前だったし、わざわざ客と話してくれる受付の人にも感動しっぱなしだった。
人の暖かみを文字通り心で感じる日々だった。
同時に遠くにいる日本人の友だちにも本当に感謝したい。
インターネットが不調だった日には今から考えても精神病に近い精神状態じゃなかっただろうかと思う。少なくとも普通の精神状態では無かった。
初めてのフィールドトリップ
日本人の友だちとの電話や散歩で何とか気を紛らわしている時、次の週に実際に村に行ってみることになった。
自分にとって初めてのフィールドトリップだった。
もちろん不安でいっぱいだったが、とりあえず行ってみることにした。
た、楽しい!!!
結論を書くとこうなるが本当に行って良かったと思う。
フィールドトリップではインド人とペアで4泊5日、水シャワー、ネット無し、という過酷すぎる環境で生活をした。
村の子どもたちはフレンドリーで一緒にバドミントンをしたり、言葉を話さず、ずーっとお互いの顔を見てニコニコしたり。あるいは市場に出て意味なくミルクティーを飲んだり。
グラミン銀行は村の銀行と呼ばれるだけあり、必死に動いていた。
しかしそのレベルは最貧困層の人たちを貧困層にできただけで、まだまだ彼らのやることは多い。想像を絶する貧困だったのだろう。食べ物がない飲み物がないのレベルと聞き、何とも言えなくなった。
ローンの話にがっかりしていたが彼らがやり遂げつつあることは偉大そのものだ。ただ僕の興味が向かなかっただけで。
(ちなみに1番上の画像は村レベルの支部の門に掲げてあるグラミン・マーク)
村の子どもたちは幸せそうで、裸足でも元気そう。
でもやっぱり話を聞いてると問題はどこにでもあるわけで
「教師のレベルが低すぎる!家庭教師もだめ!」
「図書館が魅力的じゃない!」
1人の通訳の人(大学生)が言っていたのは
「賢いのに、シャイだから、十分な勉強環境がないから、てだけの理由で勉強できない子どもたちが多い」
でも教育を受けたからといって職が首都にあるわけでもなくて。
「この国のことは大好きだし、社会のために貢献したい、けどそれじゃ俺は生きられないんだ。だから外国で修士をもう1つ取って、泥水みたいに外国で働いて、将来はこの国のため、人々のために働くんだ。いま背を向ける俺って間違ってるかな?」
僕らの通訳はこんな感じのことを言っていた。なにも言えない。
本当になんなんでしょうね。僕個人的に言ってもトビタテに参加できたのも、日本人として世界中を飛び回るのも、お金に不自由なく生活できるのも
すべて運が良かった
からだといつも感じている。
僕が思う、「なぜ国際協力すべきなのか」
率直に言って僕は恵まれてきた。安定した家族、紛争も疫病もない世界、水は飲めるしお湯のシャワーしか浴びたこと無い。
風邪を引いたらすぐ医者に行けるし、道路のでこぼこで車酔いもない。
食事は世界各国のものを食べれるし、周りの人はみな日本人。
そんな中で僕は育ち、実は剣道を10年以上やっていた、が半分さぼってた(笑)
試合では勝てず、偏屈な自分は「あいつが勝ってるのは俺が負けたからだ」と思うようになった。本当に生意気なガキだった。
どこか心の中でこの世には勝者と敗者がいるってことを知ったんだと思う。
そして知らず知らずの間に僕は両方を体験していた。
そして良くあるように「アフリカの子どもたち」や「紛争」やそういう類のキーワードを知り、助けなきゃーとは思うものの同時にこうも思っていた。
この世には勝者と敗者がいる。敗者を助けるということは最終的には自分が損をするってことじゃないのか?
うん、認める。僕はどうしようもなくガキでアホで、それに対して
違うだろ!助けるべきだ!
とはどうしても思えなかった。
だから実は僕は人を無条件で助けることがあまり好きではない。状況にもよるが。
例えば災害のときは体が先に動くことがあったりする。
ただ、いろんなことを学ぶ中で世の中にはスタートラインにも立てない人がいるんだってことを知った。
それはホームレスの夫婦の間の子どもだったり、途上国の農村の子どもだったり、生きる上で障がいになるであろう何かを持ってこの世に生まれてきた子どもだったり(障がい者という言葉は大嫌いなのでこう表現します、こんな言葉が存在するべきではない)
これってフェア?何がその子どもたちの未来を決めるのだろう。
子どもの能力、親が悪い?
そうじゃない
環境が悪い。
そして環境が悪いとは、つまり運が悪いということだ。
僕らは生まれてくる国籍、親、性別、何もかも選べない。
そういう環境による損失は実は数えきれないくらいある。無数に。
そして僕はその事実に抗えない。
それはつまり、簡単に言うと「運が悪かったからしょうがないだろ、その人生を必死に生きろよ」とはとても思えないということだ
だから僕は国際協力をする。ただ無償で人を助けることにも時間的、環境的限界が必ずいつかやってくるから、だからいまソーシャルビジネスとして、ビジネスとして
そういう
スタートラインにも立てない人のために
なにかする1年にしたいと思ったのだ。
まとめ
長いのに読んでくださり感謝です。
- 複数の国を留学するという難しさを今感じている、ということ。
どこかに腰を据えて動けないということがこんなにストレスになるとは思わなかった。今後僕のような留学をされる方はご注意を・・・笑
- 原点に帰ることの重要性
スタートラインにも立てない人たちへ想いを馳せることは僕の原点でもあったのに、それを忘れてしまっていたこと。原点に帰ることは簡単ではないが、チャレンジ。
- 仲間(トビタテ)の重要性
偶然、病み期の終盤にいるときにトビタテの同期とお話をした。ミャンマーの山口さんとイギリスの松高さんだった。
帰国してからのことをいろいろとああでもないこうでもないと話していたのだが、ふと気づくと良い案が出ていたり、盛り上がっていたり、こういう仲間って少ないなぁと感じた。
なにが少ないってお二人とも
直接会ったことない
んですよね(笑)
会ったこともない人と仲良くおしゃべりをしてコミュニケーションを取る。
素敵な時間をありがとうございました。
また僕が精神不安定なときに無意味に連絡をしてしまった、僕の友だちのみなさん本当にご迷惑をおかけしまいした。笑
そして僕は予定より早くこの国を後にしようと考えています。やることが特になくなったのと、早く活動するかもしれない場所に行ってみたくて。
よし!やることたくさん。
がんばります!