1.勉学
相変わらず勉学が全くはかどっていません。エッセイと読み物が山積みです。
東フィンランドで生涯教育を学ぶ中で、個の関心や生活課題ごとに人と繋がりながら学び続けることが、生やコミュニティの豊かさためにどんなに大切な鍵となるのか、というようなことを改めて感じています。その一方で、日本政府の財政難の影響で、ついに千葉大学の生涯教育課程が廃止されることが公に発表されたと聞き、衝撃を受けました。千葉大の学科の友人と話したくなりました。
今月受けた授業を以下ⅰ、ⅱに書きたいと思います。
ⅰActive Citizenship and Non-formal Education
まさに私の専攻分野に直接関わる授業だったにも関わらず、新しく知り、感じることが多くありました。この授業では、active citizenship(積極的な市民)とnon-formal education(社会教育)のフィンランドの現状について、定義や法制度を始めとして、基本的な情報を得ました。レクチャーだけではなく、実際に市内のnon-formal education施設であるcommunity college, save the children and Joensuu family house, open universityを見学し、スタッフの方からお話を聞きました。また、この授業を受講しているのは全員留学生だったので、国ごとに各国のactive citizenshipとnon-formal educationの現状についてのプレゼンをし、論点をもとに学生同士で議論をしました。フィンランドの生涯教育の長い歴史と社会への浸透性に改めて圧倒されました。
27日にフィンランドの同性婚合法化の是非に関わる投票がありました。この日に向けて、同性婚賛成派によるデモや広告、SNSを始め、多様なジェンダーの人々に対する肯定的で多岐にわたる活動に、私の多くの友人だけでなく、大学をあげて参加していました。それを横でワクワクと見ていたのですが、本当に同性婚が合法化することになり、ただ驚き、感動しました。市民の意思は政治に反映されうる、社会は市民による市民のためにあるのだと、気付かされました。これが授業で学んだフィンランドのactive citizenshipとそれによって初めて成り立つ民主主義社会なのかと1人納得しました。学校を含め多様な教育施設がフィンランドのactive citizenship育成に大きく貢献しているということは、理論としては分かるようで、私にとっては想像しにくくもありました。
この授業の最後の講義の後は、教授が受講生のために企画して下さったパーティーで、学校の暖炉でソーセージを焼き、カレリアパイを口に詰め込み、各国の生涯教育について議論をする充実した時間を過ごしました。
ⅱFinnish Music Education
フィンランドの音楽の歴史をなぞっていく授業でした。フィンランドの民謡から始まり、クラシック、タンゴ、軽音楽、ロック、そして現代人気のヘビーメタルロックへと繋がります。楽器を弾いてみたり、歌ったり、音楽を聴きながらの毎回のレクチャーは全く飽きず、その後色々な場所にフィンランド音楽を聴きに行く際の良い勉強になりました。音楽をただ娯楽として捉えるというよりは、音楽がそのコミュニティの文化や人々のアイデンティティと切っても切り離せない関係だということを意識していたいです。
私が住んでいるヨエンスーは田舎ですが、日々無料でフィンランド音楽に触れる機会に恵まれています。市の図書館、バー、コミュニティセンター、島、カフェ、教会等、特にフォークソングを聴くために、元気がある限り黙々と通っていました。優しい雰囲気の中で始まる音と素朴で剥き出しの楽器、柔らかいライト、独特の抑揚のあるメロディ、温もりのある室内のデザイン、音楽を熱心に見つめる色々な世代の目、ミュージシャンの言うジョークに対する静かなクスクス笑い声。フィンランドの人々の文化に対する高い関心と深い教養は、普段から気軽に芸術に接する機会が多いことが1つ理由にあるのではないでしょうか。特にヨエンスーが位置する東フィンランドは、フォークソングの最も古い歴史を持つ場所でもあります。フィンランドと日本の民謡は共通点が意外と多く、どちらも五音音階で成り立ち、一般的に地声を響かせて歌います。フィンランドのフォーク音楽が私の琴線に触れるのは、どこか日本の民謡を思い出して、昔の記憶と今の繋がりやアイデンティティを感じるのかもしれません。
この授業の一環で、大学のホールで市のオーケストラ団体の演奏を聴きました。とても上手でした。バイオリンのソロから始まり、そこに弦楽器、木管、金管、そして低重音楽器とパーカッションというように順々に音を重ねていく曲調はしばらく耳に残っていました。
フィンランドのnon-formal education機関で行われる芸術教育をテーマに卒論を書こうと思っています。芸術は新しいコミュニケーションとして、異文化理解を促すことができるのか、その際にnon-formal education機関は教育を通して市民と芸術を繋げる場として貢献しうるのか、興味があります。先行調査の論文、文献を読んだ後、美術館とアーティストレジデンス施設でのインターンシップの際に調査をしたいです。
2. 生活
ますます寒く暗くなり、この1ヶ月間太陽は出ず、自然は毎日少しずつ死んで凍っていきます。秋でも冬でもない今、街も人も自然もこれから来る厳しい冬の気配に備えているように見えます。雪がフィンランドの人々の肌に反射し、目に凍った湖が映り込むのを見て、息を飲みました。
生活に慣れ時間にも余裕がある分、ストレスを感じるようになりました。度々人と衝突し混乱しています。全体としてはもちろん少数ですが、国や地域ごとに人を一括りにしてステレオタイプのラベルを貼ったり、そのラベルに優劣をつけたりするような人々にも出会い、その度にワオと思い疲れています。他人とは分かり合えないことを前提にしながらも、結局は皆同じ人間なので、共通項を見つけて端からなぞり合ったり、分からないことをぶつけたりと、外国語を使って不器用にコミュニケーションを取っています。
幸運か不運か、孤独なフィンランド人や礼儀正しい酔っ払いにもたくさん出会いました。幼い時から個が自立し自由が認められていると言われる超先進国だからこその寂しさなのかもしれません。福祉と教育が保証されている分、ある一定以上の経済力と教養を持ちながらも、生き甲斐を求めてさまよう人々に道端で出会い、お酒に誘われて、たまにバーで話を聞いたりしました。治安の良い国でないとできないことです、気を付けます。
28日はJoensuu Dayということで、市内の芸術施設が入場無料という、まさに私のためのイベントがありました。午前中に立ち寄った劇場では珈琲とケーキが振る舞われ、中華料理店でお昼ご飯を食べた後、博物館と美術館へ行き、夕方にカフェに寄って気軽な議論しました。
博物館は1階で企画展のコウモリ展と特別展のクリスマス展、2階で常設展であるカレリア地方の歴史の展示がありました。特にコウモリ展は、コウモリに関する詳細の情報や生態学を越えて、広く文化や歴史も語っていたことが非常に興味深く、展示方法も工夫と遊びの要素がたくさんあり分かりやすかったです。秀逸だと思いました。一緒に行った友人は、今までのコウモリに対する気持ち悪いだけのイメージと韓国の博物館のつまらないイメージが大きく変わったと目を見開いていました。子供のようにはしゃぎながら五感を使って展示を楽しむ私達を見て、スタッフの方や、コウモリが大好きなのだと目を輝かせたドイツ人学生が話しかけてくれ、コウモリを糸口に新しいコミュニケーションが生まれたことは、私にとって感動的でした。こういう勉強もありですよね、楽しいです。
私が美術館の学芸員の資格を取っているという話をしたため、友人から美術館で、芸術作品は永遠でありうるのか、学芸員や作品の修復家は作品の意味を変えうるのか、なぜ学芸員を目指すのか、芸術の解釈に正否はあるのか等の良い質問をどんどんされ、1人唸り続けていました。私は専門の話さえ英語でできず、一体今まで何をしてきたのでしょうか‥。会話をしながら博物館を回るのがとても好きです。
今まで学校の授業で”勉強”したことが、自分の生活や歴史に繋がる瞬間は常に面白く、その瞬間のために学んでいる気がします。
氷点下の屋外で珈琲を飲みながらフィンランド映画を観たり、フィンランド独特のメランコリックな音楽に合わせた火のパフォーマンスを見たり、クリスマスのオープニングイベントで冬の濃い霧の中花火を見たり、バレーボールの試合を観戦したり、でも大半の時間は家で眠り込んで過ごしました。