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海外就職という違和感

去年の5月に初めてセブ島を訪れ一カ月の語学留学を経験。それから数えて現在までフィリピンに滞在して累計5か月。今現在はセブ島の隣、ネグロス島にあるDumaguete(ドゥマゲテ)という街に住み、日本人の仲間と語学学校を運営している。体をドゥマゲテに置くと、少し離れたセブからの話も断片的に聞こえてくる。
 

最近の流行りなのか、傾向なのか詳しくはわからないけどフィリピン留学の先にあるのは、海外就職というものが留学の延長にあるらしい。
少し前までは海外就職と聞くと、旅行代理店かエリートの投資銀行みたいなイメージがあり、海外の有名大学を卒業した様な優秀な人材のみが当てはまるものという認識があったが、その敷居も低くなって語学留学の延長で海外で就職できる流れができているらしい。
 

考えの背景には海外での就労と聞くと、まずはワーキングホリデーがイメージされる。きちんとした雇用ではなく、ワーカーとして働くワーホリよりも海外就職の方が雇用面として安定している。セブ発信の海外就職は日本人の抱く雇用に関する不安を払拭して、海外で就労してみたいという希望の受け皿になっているのかもしれない。

セブは語学留学を皮切りに多くの日本人向けサービスが増えている。日本人の集まる所には日本人に向けたサービスが発生して、結果的に日本人スタッフが必要となる。海外就職を希望される方は日本で社会経験を積むよりも、海外で就職をして社会経験を積んだ方が良いという考えが上の認識にあるのだろうか。
 

海外で就職を希望する人の中には日本での勤め先がなくなり、語学を習得して海外へ活路を見出す人がいるのは事実だと思う。憶測ばかりになってしまうが、安易な海外就職という言葉の一人歩きには引っかかる。
 

社会経験を積むなら少しでも日本での社会経験を得た方がいい。フィリピンで生活して思うのは、日本で働いて稼ぐ月20万の給料の有り難みにも気づく事ができる。
開放的な海外で生活をし日本でのアルバイトよりも効率良くお金を稼ぎたいならオーストラリアでワーホリするのが良いと思う。ワーホリのような現地でのサバイバル経験には年齢の制限もあるが、海外に自分一人で身を置く覚悟が必要だ。
 

海外=良いイメージ、いい加減無意味なイメージだけで完結する無い物ねだりは良くない。
 

海外で生活をする、さらにお金を稼ぐのは紛れもなくサバイバルだ。海外でサバイバルをする本質を無視をして、海外の環境でも日本人が集まる所に身をおき、チャンスかどうかも分からない海外就職を希望するのは何かおかしい。背景にあるのは、海外やリゾートを謳い文句に安価な日本人労働力を確保する雇用する側の都合も見え隠れする。

これだけ日本とフィリピンの距離が近くなる事はいいことだと思う。しかし、留学で英語を勉強するならまだしも、その延長に中途半端な志の人間が集まるようであれば、現地の価値観や人々を無視した私利私欲の世界が広がるようで恐ろしい。
 

個人的な考えだけど、日本人が海外へ出る必要性の一つは語学の習得の他に新しく価値観を広げる為だと思う。広い世界でも社会的に日本ほど恵まれている環境は中々ない。海外と日本を比べて足りないものがあるとすれば、一番大きいのは語学よりも多様な価値観だと思う。
 

場所が海外に変わっても日本と変わらない日本人中心の環境で現地の人間とのふれあいや交流もなく、自分自身で動く事もできなければ新しい発見はなく、価値観を広げる事はできない。海外で仕事をされる方は、ただの自己満足で完結するのではなく、その土地で学ぶ多様な価値観や経験を吸収し、更に大きな自分になってほしい。

この記事を書いた人

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Nakajima Kazuhiro
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