1.勉学の状況
今月はヨウツァ(Joutsa)という村に引っ越し、芸術家滞在施設ハイハトゥス(Taidelaitos Haihatus)でのインターンシップが始まりました。私は環境への適応能力が高いので、周りの人々のようにペンキだらけのつなぎにボサボサ髪の毛化粧なし、ビールと煙草を持って徘徊し、一面にタンポポが広がる原っぱに寝転がる、生けるスナフキンのような生活をしました。
他の多くの国々と同じように、フィンランドも地域によって異なる文化や宗教、方言、食事、歴史、隣国からの影響を受けています。東フィンランドと首都だけを見てフィンランドを語ることに抵抗があったので、短い期間でも色々な地域を訪れ現地の人々と話したいと思い、交換留学が正式に終わった後もインターンを理由にフィンランドに留まることを決めました。大学や交換留学とは関係なくハイハトゥスの管理人の方に直接メールと履歴書を送り、今回のインターンをお願いしました。
ヘルシンキからバスで2時間半150km北に上った中央フィンランドに位置するヨウツァは、茨城出身の私でも狼狽する自然豊かで不便な田舎です。ヘルシンキに住む友人達はここを「典型的な侘しいフィンランド」「まさに真のフィンランドの姿」「牢獄」「そもそも村の名前を聞いたことがない(大多数)」と表現していました、全て的確です。ただそんな小さな村で1週間来館者数1桁の芸術家滞在施設と博物館がそれぞれ経営を続けていけるのは、政府が文化施設やアーティストを手厚く支援するフィンランド(欧州)だからこそだと思いました。
芸術家滞在施設(AIR:artist in residence)は現在世界中に520施設あります。一般的にギャラリーが芸術家を招聘し、その芸術家がギャラリーの位置するコミュニティを巻き込んだり地域からインスピレーションを受けたりして、住み込みで作品を作り、最終的にはギャラリーでの展示を通してコミュニティに作品を公開する施設のことで、通常ギャラリーとスタジオ、芸術家が住むフラットをまとめて芸術家滞在施設と呼びます。私の実家がある茨城県守谷市にも芸術家滞在施設ARCUSがあり、昨年社会教育主事資格を取るために1ヶ月間実習をしていました。今回のインターンシップも1ヶ月と短期間でしたが、芸術家の作品制作とオープニングセレモニー、展示会に関わることができ、芸術家滞在施設の一連の機能を見ました。
最初の1週間は週末に開かれる展覧会の開会セレモニーに向けて準備の大詰めでした。17組のフィンランド人アーティストと4人のキュレーター、大型犬5匹、猫2匹、そしてそれぞれの家族と共に生活し、各々作品制作と展示作りの最終段階だったので、施設内を大人数が行き来していました。元々この週私は広報のための写真撮影を担当する予定で、施設から一眼デジタルレフを預かりましたが、滞在アーティストの1人であるリスト・プールネン(Risto Puurunen)の制作が間に合わないということで、到着早々急遽彼の手伝いに回されました。
リストがハイハトゥスで制作していた体験型芸術「空気に浮かぶ影Ⅱ(shadow in the airⅡ)」に一目で虜になりました。彼は3Dの影を発明し、現実と幻想を混同させる実験映画を作っています。その作品は、真っ暗闇の静寂の中、ただ影だけが立体的に光っていて幻想的で繊細で孤独で、あまりに美しくて、展示室に立ち尽くした感覚を忘れられなくなりました。リストはこの作品の主題を「環境問題」と設定していますが、私は制作途中の影を初めて見た時に寂しさの極限だと思いました。過去(誕生)と未来(死)の時間軸に現実と幻想の2項対立が表現されていて、モチーフの死にかけの鳥はリスト自身なのでは、と寂しくなりました。忘却とは死なので、人々や環境から忘れられるとともに鳥の羽が剥がれ落ちるように死に向かい、不動の死に向かって作者は着々と荷物を降ろして静かに準備しているのだなあと思いました。その苦しみややるせなさ、諦め、そしてその際に直面せざるを得ない孤独を、作品を見た時に私の中にも一瞬で見出してこの作品に惹かれました。(本当は作者が言うようにずっとシンプルに、未来の環境破壊で鳥が汚染されている、という内容なのかもしれませんが…。)
私は作品の中のメトロポリスの制作を任されていたので、不規則な勤務時間で13~1時にダラダラと小さなパーツを作り続けていました。作品のモチーフとなっている鳥への彼の執着心は強く、5時間かけて折り紙で3cmの「負傷した カラス」を折り、爪サイズの電柱(爪楊枝)に電線(糸)を繋げ、メトロポリスが完成した時にはリストと笑い転げた後泣きました。ハイハトゥスに来るまではひたすら美術館の数をこなすことに必死で、いつの間にか美術館スタンプラリー状態だった私にとって、1つの作品に夢中になって上気せ、じっくりと向かい合って制作に関わった経験は、この時に必要だったと後から感じました。また、私はこれまで芸術を学ぶ際に作り手の視点が欠けていたという点でも、良い経験になりました。
リストは朗らかで人懐っこいチャーミングなおじさんなのでもちろん皆から愛されていました。が、一方で起きぬけからビールと煙草にまみれ、感情の上下起伏が激しく第6感か何かで一般人には見えないものを捉えて騒ぐMADな人でもあったので、彼の話を聞いてなだめる私はリストの個人セラピストと他のアーティスト達が冗談で哀れんでいました。セラピストとして子供の頃の記憶について質問したところ、いきなり彼が作品の鳥について口を開きました。「鳥の死、その瞬間を見たことがある?僕は子供の頃から鳥と奇妙な関係にある、人生の転機に必ず目の前で鳥が死ぬんだ。例えば母の葬式が済んだ後何となく空を眺めていたら、空を横切って飛んでいた鳥がいきなり垂直に落下したので、駆け寄ってみると死んでいた。また別の年、友人が亡くなったという知らせの電話を受け取った直後、鳥が窓に垂直に飛んで来てそのままぶつかり死んだ。…でも僕は鳥に興味はないんだ。…」と話すので、やれやれ鳥に呪われた男よ、と笑いながら外に出ると犬がスズメを食べている最中で2人で絶句しました。
この騒動含め鳥関連の小さな偶然が重なり、リストは私を神からの贈り物だと信じていました。普遍的な真理など存在しないので、どの真実を選び信じて生きていくか、だよなあと思いました。彼は彼の視点から独自の方法で誠実に世界に向き合おうともがいていて、それが作品にも表れていると後から気付きました。
待ちに待った夏の展覧会の開会セレモニーは、ビニール袋から作られた衣装が印象的なパフォーミングアートから始まりました。そこで配られたシマ(sima)というフィンランドのメーデーを祝う手作りの炭酸レモンジュースが美味しく感動していると、4ℓお土産にもらいました。また、キュレーターの子供達によるサーカスの招待状をもらったので、施設内のホールに見に行きました。観客の子供を尊重し見守る優しい眼差しに心打たれました。展示作品を回りながら会話を楽しんだ後、夜は雨の中バーベキューで鮭やアスパラガス、マッシュルームとギリシャチーズ、ソーセージを焼きました。古いポラロイドカメラで人々の写真を撮り、その場で現像してプレゼントしました。
オープニングセレモニーの翌日からハイハトゥスで夏の展覧会が始まりました。5つの建物内の展示室の他に7カ所の屋外展示空間を持つ広大な展示です。私は展覧会中受付をするために屋外に個人オフィスをもらいました。中古車?を使った可愛らしいオフィスで気に入りました。
11~17時の開館時間に来館者にチケットを売り展示の説明をして、カフェで珈琲を入れることがメインのお仕事です。1日0~2組しか来館者がなかったため、過去の滞在アーティストが残していった本を読み漁り、仕事に必要な単語を暗記して時間を潰していました。一般的にステレオタイプとしてフィンランド人はシャイだと語られますが、私はそれ以上にシャイ、かつフィンランド語での会話能力が絶望的なので、ポラロイドカメラで来館者の写真を撮って現像する合間に展示の感想を聞くなど、不器用にコミュニケーションを図っていました。
オープニングセレモニーの後はバケーションのために芸術家が一気に帰り、代わりに海外から新たに芸術家を受け入れました。全員ビジュアルアーティスト、特に絵画が専門のアメリカ人2人とエジプト人です。
彼らと夕方仕事終わりに車で1時間かけユバスキュラ(Jyväskylä)を訪れました。元巨大工場のウーデンポルベン博物館(Uuden Polven Museo)の展覧会のオープニングセレモニーに参加しました。フィンランド現代美術を代表する芸術家であり、ハイハトゥスのキュレーターでもあるパウリーナ・プルホネン(Pauliina Purhonen)のテキスタイルアートの手縫いによる細かなパターンが良かったです。スケッチの紙を釘によって壁から少し浮かせて展示したり、壁の色と絵画の色を敢えて融合させて壁一面が作品になったような展示を興味深く拝見しました。奇抜なメイクアップと派手なドラム使いが特徴的なフィンランド民謡ロックバンドkonginkankaan kantri trioの演奏を聴きました。帰りに寄ったハルユ丘展望台から見下ろした街と湖が美しく息を飲みました。
また別の日には、車で2時間かけてマンッタ(Mänttä)を訪れ、芸術祭で5カ所の美術館を回りました。自然と広い敷地を活かした設計の美術館は、地方でこそ魅力が引き立つ気がします。ゴスタ美術館(Gösta Museo)を訪れた際に、高い天井と区切りの少ない広い展示室や一面ガラス張りの廊下から見える緑を見て、奄美大島の田中一村記念美術館や長野のちひろ美術館を思い出しました。
リストは独特の世界観を持つ舞台映像で有名な実験音楽バンドcleaning womenの弦楽器奏者が本業で、アーティストとしての活動は始めたばかり、今回が2作目だったそうです。
実験音楽とは、現代音楽や音楽芸術の潮流の1つですが、私はフィンランドに来るまで実験音楽を1度も聴いたことがなく概念そのものを知りませんでした。フィンランドでは特に若者を中心に、メタルロックに続き実験音楽が人気で、ヨエンスーやヘルシンキに滞在していた際には頻繁に実験音楽のコンサートに行っていました。ヘルシンキ市内中心にある巨大音楽センター(musiikkitalo)に「黒い箱(black box)」という名前の通り真っ暗で正方形のホールがあります。そこで無料の実験音楽のコンサートが度々あり、毎回多くの人々で賑わっていました。例えばあるコンサートでは、暗闇の中で部屋のあちこちから金属を力任せに打ち合わせる音や水が弱く流れ出す音など多様な「音」が組み合わさって同時に聞こえます。正体不明の、決して耳障りが良いとは言えない音が唐突に連続的に鳴らされるにも関わらず、不思議とリラックスしながら音楽に浸ることができました。想像力をもって音を能動的に聞こうとすることや暗闇の中で耳だけに頼らず他の器官も使って音楽を聞くこと、周りの雰囲気が理由にあると感じました。
上流階級の人々向けの高尚な贅沢品としての音楽は、フィンランドにはほとんど存在しないようです。文字を知らなければ本を読めず、字は読めても習慣がなければ読書をしないように、音楽や美術でも子供の頃から接している「慣れ」や背景知識、リテラシーの有無が芸術を読む際に必要ではないでしょうか。それは一般的に誰でも得られる能力であって、ごく少数の人が独占する芸術のセンスや生まれながらの才能、実際に芸術を制作する能力とはまた別物であると信じています。フィンランドの小学校の音楽と図工の授業を通して芸術を自分自身や生活と関連させながら能動的に解釈する視点を得られること、そして社会的・文化的背景や地理的条件に関わらず誰もが芸術にアクセスしやすい環境であることは、人々がより身近に日常に人生に広く芸術を取り込める大きな理由だと思いました。
2.生活の状況
いつの間にか春が終わり夏になっていましたが、言われるまで気付きませんでした。人間も含めた自然がこんなに美しいなんて知りませんでした。中央フィンランドの夏は短時間に雨と晴れをひたすら繰り返しますが、雨が止みかけた瞬間の雲の揺らぎ、花の音、空気の水、緑の匂い、光る影、静寂を保つ森、地味で素朴で穏やかで、フィンランドの人々も常に夏の美しさを携えているように見えます。森も湖も絵も人も食も全てが青と緑2色だけに見えるようになりました、フィルターを通して世界を見ているようです。
オープニング前は大人数で暮らしていたので、毎食誰かがご飯を作ってくれていました。ビーガンのアーティストが多かったため、豆やナッツを多く使った野菜料理を食べていました。フィンランドの夏の始まりを祝うご飯である、新ジャガイモと魚の漬け物、ミルク粥のオーブン焼きにも挑戦しました、全て美味しかったです。ジャガイモ、バター、ミルク、牛乳を多く使う、甘く薄味のフィンランドの料理は日本人の舌に合う気がします。空の綺麗な日はよく庭でご飯を食べました。
海外からの滞在アーティスト3人は運良く全員20代だったので遊びやすく、週末はバーベキューをし、村に各1つずつしかないバーとディスコを往復していました。夏休みの期間でヨウツァに帰って来ている若者も多く、地元の人々と出会う良い場所となりました。バーの店長とコックさんも私達と同じ世代で仲良くなり、閉店後朝4時に開けてもらって皆でつまむチキン、ビール、ポテトとチェダーチーズソース最高でした…不健康なものほど旨い。
小学校の社会で習った白夜を生まれて初めて体験しました。これほど幻想的で静寂で蚊が多いなんて教科書の文字からどうやって知ることができたでしょう。
今月下旬にヨウツァからユバスキュラでバスを乗り換え5時間北東に進み、ラッペーンランタ(Lappeenranta)を訪れました。フィンランド3大イベントの夏至祭を友人の親戚と過ごすためでした。1年以上前からフィンランド最大の湖、サイマー湖(Saimaa)に浮かぶ孤島の別荘で一緒に夏を過ごそうと誘ってもらっていました。3日間電気なし水道なしインターネットなしで、ビールを片手に湖で魚を釣ってバーベキュー、湖の畔で2mに及ぶ焚火(kokko)、友人とサウナに入り裸のまま雨の森を走って氷のような湖で泳ぎサウナと湖を往復して、明け方霧の森の中で鳥の鳴き声を聞き分けて、湖が見える手作りのお家で昼まで寝続ける最高のバケーションでした。
ラッペーンランタの街も見て回りました。湖の畔を歩いて英雄をテーマにした砂アートの展示を回り、船のバーで休憩して地元名物ミート揚げパン(牛ひき肉×ハム×卵)を食べました。
夏至祭の後車で30分さらに北東に進み、イマトラ(Imatra)に住んでいる友人にも会いに行きました。子供用の安っぽいデザインの遊園地に行き騒ぎました。初めてイタリアンパタを食べ映画を観て、早朝次のインターン先がある北西フィンランドに向かいました。