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7月

1.勉学の状況

 先月下旬にヨウツァ(Joutsa)を出てバスで8時間北西に進み、北極圏に位置するイー(Ii)に引っ越しました。前回に続きフィンランド人でさえ名前を聞いたことのない小さな村です。イーという名前は、フィンランドの原住民サーミ民族(Saami)の言語サーミ語の’idja’=「夜」に起源があり、「一晩を明かす場所」と言われてきたそうです。冬は全く太陽が昇らないそうですが、夏は70日間白夜で明るく美しく、夜に目的もなく出歩いていました。村の中央を広大な川が通っています。
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フィンランドの地方で豊かな自然に触れる度に、私も自然の一部なのだとはっきり思い出すことができました。自然との繋がりを失うことは自分自身との繋がりを失うことでもあります。

 私のインターンシップ先である芸術家滞在施設クルットゥーリカウッピラ(KulttuuriKauppila)はこの川岸に位置していました。気温や天気によって姿を変える川に沿って自転車を漕ぎ、毎日職場に通っていました。私の滞在期間にはフィンランド人3人と日本から1人アーティストが滞在し、各々作品を制作していました。クルットゥーリカウッピラでの私の主な仕事は(ⅰ)フィンランド人写真家のアキペッカ・シニコスキ(Aki-Pekka Sinikoski)の制作の手伝いと(ⅱ)施設内3部屋を使った所蔵作品の展示作りでした。

(ⅰ)アキのコミュニティアート作品制作の手伝いをしました。1日午後5時間ずつ3日間にわたりクルットゥーリカウッピラで、65歳以上のお年寄り向けのワークショップ(K65-pajassa)がありました。身近な材料で各々お面を作って顔につけてもらい、アキが1人ずつ彼らのお家で写真を撮るというものです。初日のワークショップは男性のみ10人、2日目は女性のみ10人、最終日は前2日間に参加できなかった3人がマスクを作りました。毎回異なるイー出身のアーティスト達がお年寄りのお面作りを手伝っていました。
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実際のワークショップは予想以上に混沌とした状態で、部屋のあちこちにある材料を求めて人々が行き来し、手伝いを求め、会話がスムーズに進まず、私の髪の毛をお面の髭に使いたいとハサミをかざされ、このプロジェクトの取材にメディアの人々が取材に訪れる等てんやわんやでした。フィンランドはお昼の珈琲休憩の時間とそこでの会話を大切にする文化があるので、やっと落ち着くことができました。珈琲を入れてプッラ(pulla)というフィンランドのパンを焼きました。
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 「アカリが皆さんのお面作りを手伝います。フィランド語を話せるのでゆっくり分かりやすく話してあげて」と紹介してもらったのは良いものの、実際はフィンランド語の語彙が50しかないので話すペースに関わらず全く理解できません。ただ、お互いに単語が分からなくてもマスクを媒介に意思疎通ができてしまって感嘆しました。
 知恵の輪作りやビニールテープを使ったマスカラ作りなど、個性的な趣味を持ったおじいさん達がいて、ワークショップ後に作り方を手取り足取り教えてくれました。フィンランドの人々の手先の器用さに改めて驚きました。ログハウスの建設や家のリフォーム、あらゆる修理を業者に頼まず自分でやってしまうことはこの国では普通ですが、性別や世代を問わず多くの人々が日常的にケーキを焼いたり編み物をしたりガーデニングをしたりベランダで野菜を育てたり楽器を演奏したりしていることは、彼らの手先の器用さと強く結び付いている気がします。小学校の図工の授業時間が占める割合がもともと高いのですが、さらに授業の中でフィンランド人教育学者ウノ・シュグネウス(Uno Cygnaeus )の思想を元に手工教育に力を入れていることも、フィンランド人の手先の器用さに貢献していると考えています。
 仮面は固有文化と強く結び付き、その共同体のアイデンティティでもあります。また、仮面をつけることは写真の暴力性を和らげるのではないかと思いました。写真を撮る側と被写体の間に力関係が生まれることは不可避ではないでしょうか。アキは常に笑顔が絶えない、自分の言葉に自分で豪快に笑っている愉快な人なので、彼の人柄も写真を撮る際に人々の緊張をほぐしているようでした。

 写真家の手伝いと言うと聞こえは良いですが、実際は写真の知識が全くないので、任された仕事の単語が分からず、ピクセルの意味から調べていました。アキの新しい写真展endless summerの宣伝ポスターを少しだけ英語から日本語に翻訳しました。
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フィンランドで日本語を使ったシュールなポスターを見てホッとしました。東端アジアの小国などここでは誰もよく知らず、アルファベットの国で1年間暮らす中で活字が恋しかったので、アキが彼の作品に日本語を使うことで結果的に超マイノリティの言語を尊重したことは、私にとって大きな意味がありました。

(ⅱ)7カ国出身の歴代滞在アーティストの作品8点を選んで展示を企画し、実際に施設内3部屋に展示しました。もちろん基本的にどれもイーを元に制作されていますが、その中から「ノスタルジア」と「臓器」をテーマやモチーフにしているものを選びました。
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 勉強のためのインターンなので好きに作ってみて駄目だったら批判されて作り直そうと思い、出入り口近くに大きな写真を天井から吊らすなど無茶をしたのですが、フィンランド人のスタッフの方達が褒めて下さって面食らいました。「今まで見たことがない展示だから良い」ということでした、他の国では通用しなさそうです。管理がずさんな部分もありそれぞれ作品の作者やタイトルが分からなかったので、作品を選ぶために端から作品の背景を調べたり、様々な展示方法を試してみたり、周囲の人々の反応で展示を変えてみたり、ゆとりある時間の中で自由にチャンスを貰えたので楽しみました。
 展示作り以上に様々な背景を持つ人々と一緒に作業できたことは良い経験となりました。地元の高校生5人が2週間職業体験でクルットゥーリカウッピラで働いていて、展示作りも毎日1人ずつ交代で手伝ってもらいました。また、怪我によって退職を余儀なくされた中高年男性が職業訓練として3ヶ月間ここで働いていたので、彼に随分助けてもらいました。彼らとクルットゥーリカウッピラを繋げているのは行政で、両者に地方自治体から給料や補助金が出るそうです。柔軟に就業を支援するフィンランドの福祉とそれを支える理解ある人々どちらも見られて良かったです。

 同じ村内にある民俗博物館のカフェの2部屋を使って、イー出身の写真家バルト・ペルヌ(Valto Pernu)展を作るお手伝いもしました。カフェの外では皆半袖にアイスを食べ暑そうに見えますが実際は13℃強風、これが北極圏の夏です…。
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 また、滞在アーティストと車で30分、オウル市(Oulu)を訪れ、クルットゥーリビンゴギャラリーで抽象画作家マリ・アウリネンの個展のオープニングセレモニーに参加しました。
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2.生活の状況

 イーの博物館の屋外ホールのコンサートへ行きました。友人がアメリカスウィングのドラマーとして出るということで、このコンサートのことを教えてもらいました。音楽を屋外の日光の下で聴けるようになるなんて、冬には想像できませんでした。
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 帰国前に友人達に会いに最後にトゥルクとタンペレを訪れました。先にイーからオウルに車で30分、そこから夜行電車で8時間南西に下り昔の首都トゥルクへ向かいました。ナーンタリの孤島の上、森の中にあるムーミンランドに行ってきました。
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子供向けの公園です。ムーミンの本シリーズのお話を元に作られているので、ムーミンの物語を友人が説明してくれるのを聞きながら島を回るのは、本の中を実際に歩き回っているようでした。ムーミンの着ぐるみの不気味さに子供達が大泣き、スナフキンはシャイすぎて人を避けていて、キャラクター達が個性を出して活き活きと子供達に話しかけ踊り生きていることがとてもリアルでした。
 翌日電車で2時間北東に進み、タンペレを訪れました。遊園地に水族館、動物園、イルカショー、絵本作家マウリ・クンナスの博物館、展望台、アングリーバードランドが入っている巨大テーマパーク、サルカンニエミで1日遊びました。サルカンニエミは湖沿いにあり、中央に立つ200mの展望台から湖水地方を360℃一望できました。
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 今月でフィンランドでの留学とインターンを終えました、長い1年間でした。留学すると外の広い世界に目が向くと思っていましたが、学びを通して自分の内側を深く客観的に見た経験は貴重でした。特に子供の頃の私がその時その場で悲しめなかったことを今になってきちんと泣けたことで、無意識に私自身を縛っていたものから解放されてさらに自由になれたように今は思います。たしかこれがトラウマの克服だったか愛着形成のプロセスだったか、昔非行臨床の授業で習った気がしますが詳細は忘れました。
 フィンランドの9ヶ月間の長く太陽のない暗い寒い冬は、外国人にとって想像以上に過酷だったと思います。多くのフィンランド人は淡々とした取るに足らない日常を丁寧に生きて、何でも無い日々を楽しみ味わっているからこそ、冬と共生できているのではないかと感じました。個人のお家の建築や小さな1つ1つのインテリア、デザインが繊細で凝っていたり、人々が珈琲休憩や相手を尊重した会話、哲学と芸術、趣味を大切にするのは、過酷な冬を毎年乗り切るのに彼らにとって不可欠なのではないでしょうか。私は大学で多くの授業に出席しながらも結果的にはほとんど単位を取れなかったのですが、プレッシャーやコンプレックス、嫉み恨み、抑圧以外の動機で、私は私のために本当に学べるのかどうか揺らぎました。自分の人生を生きるということをこの冬の期間にとことん考えさせられました。
 高校生の時に国際科に進んだので当時海外経験のあるクラスメートが多く、この留学も特に迷いや緊張なく素朴な理由で選択しました。が、留学前の洗脳的な奨学金の研修やそれに飛びつく多くの参加者の影響で、少しずつその目的や意識が歪んでいくように感じていました。もちろん留学の目標設定は個人で自由ですが「英語力の向上」「”コミュ力”」「グローバル人材」「日本人としての誇り」など私にはどうでも良いことです。競争社会の中で自分を使い勝手の良い道具として売り込み積極的に消費される生き方を小学校から刷り込まれますが、批判的に世界を学び続け、そして自分が誰であるのか考え抜きその答えの上に生きて初めて、人生が始まるのではないでしょうか。明晰な感性と血の通った心を尊重することこそ、自分の世界を守り人々の暗闇の灯になると確信したので、長期留学して良かったと信じています。
 自由であることは時に孤独でもありますが、私の「ホーム」は私の中にあるので寂しさに支配されずに、次は正規の修士課程の学生として、また教育環境が整ったヨーロッパでのびのび学びたいと夢見ています、その時はいよいよ真面目に単位を習得しないと行けませんが…。もっと柔らかく自由にユニークに適当に気軽に、たくさん失敗もしてリスクも冒して、食べたいものを食べ着たいものを着て、生きる場所は私が選ぶ、人と違うことを楽しんで、好きな人々と丁寧に時間を過ごす、自然や文化、芸術に裸足で踏み入る、そういう生き方をしていきたいです。もう恐れることは何もない、帰国3日後に始まる台湾での短期留学も楽しみたいと思います。
 1年間日本から私のフィンランドでの生活を支えて下さって、この報告書を読んで下さって本当にありがとうございました、感謝です。

この記事を書いた人

マスカラ

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by ************** 2016-02-02

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