アンカラに入り、廃工場のような寮での楽しい楽しい()生活が始まった。
日本人学生二人とルームメイトに。翌日からは、トルコ留学最初にして最難関といわれるikamet(住民登録)への戦いが始まった。これは、予想以上に困難なものであった。今年、法改正があったこともあり、
①広いアンカラの街をキャンパスからキャンパスへと巡り、歩く。
②行く先々で、よくわからないトルコ語で不誠実かついい加減な対応をされ、憤る。
③強い乾燥と日差し、アンカラの慣れない気候に翻弄される
①~③の繰り返し
④手続きは遅々として進まず、罰金刑の恐怖に怯える。
⑤やっとたどり着いた警察署でも、三人まとめて手続きするよう頼むと役人に怒鳴られる
⑥ついに手続きを終え、支払いを済ませたところで、別な役人が「トルコ語の保険証書がないとだめだ」と言い始める
最初の方は相手の対応にいちいち腹を立てていたので、ついに疲れ果てた。もともと少ない体重は、49kgまでに減っていた。
手続きの3日目、ついに警察署で体が悲鳴をあげた。高熱で立っていることもままならなくなり、そこから不便な寮での療養が始まった。
バナナを食べても、りんごジュースを飲んでも、薬を飲んでも。いくら油をとらないようにしても、お腹の症状はひどくなる一方。
私はますます痩せ、鏡に映る姿を見るのが怖いほどであった。トルコで再開した友人に度々驚かれたのは言うまでもない。
倒れた日に口にしたのは、小さなパン一個。それから30時間の間に口に入れることができたのはバナナ一本。
日本人の先輩にうどんとポカリスエットの粉を譲ってもらえなければ、本当に栄養失調でどうなっていたか分からない。
ルームメイトも不調を訴え続ける。「この限られた状況で、いかに腹に優しい食事を確保するか」作戦を練った。
コメを買ってお粥を作ろう、ゆで卵で栄養を確保しよう、じゃがいもを柔らかく茹でて、塩で食べよう、ありとあらゆる手段を試みた。
熱は下がったが、腹の具合は一向によくなる気配を見せない。
体力がここまで衰えると、弱気にもなるものである。敬愛する大投手、津田恒美さんの言葉に、「弱気は最大の敵」というのがあるが、まさに今、私は最大の敵と戦っている。譲っていただいた日本の食材の日本語を見る度に、日本の友人を思い出すたびに、家族と電話するたびに、どんどん弱気になっていった。
だが、嘆いたところで状況は変わらない。病院を含め、ありとあらゆる手段を講じ、生活基盤を整えたい。