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北欧の地で難民について考える

  
10月9日から17日までの8日間で、ストックホルム・オスロ・コペンハーゲンの3都市を旅行してきました。
  


  

その際に気がついたのが、オスロだけ異常に路上にいる難民の数が多かった事です。

なぜなのでしょうか。彼らはどこからどうやってこの国にたどり着き、何を思い感じながら毎日を過ごしているのか。ネットやニュースで報道されている事とどこまで事実が合致しているのだろうか。私が旅行した3都市の中でもダントツで物価が高かったオスロで、一体どの様に生活しているのか。

これらの質問が彼らを見るたびに頭の中によぎりましたが、一人旅をしていた私が声をかけるのは賢い判断だとは思えなかったので黙って通り過ぎる事しか出来ませんでした。
大半の難民の人達はコップを片手に路上に座り込み、お金が入るのをずっと待っています。中には家族の写真を横に置き、声をかけてくる人もいれば、雑誌の様な物を片手に売りさばこうとしている人もいました。
  

私がその様な人たちに遭遇した時に最も辛いのが、彼らの存在を無視しなければならないという事です。

すべての人が同じ状況ではないにせよ、家族や故郷を失うという様な私よりもはるかに辛いバックグラウンドを持った人もいる状況を知った上で、私にできる事は何も無いからと知らない顔をしなければいけない事に嫌気がさします。私がどれだけ頑張って彼らのコップをお金で埋めたとしても、彼らの生活を救う事には繋がりません。
  

しかし、北欧諸国では税金で彼らの最低限の生活が多少なりとも賄われています。フィンランドには今年に入ってから1万5千人以上の難民が押し寄せ、一人を養うのに年間1万5千ユーロがかかるといわれています。また私の住むタンペレでは先日難民によるデモが行われたり、フィンランドの首相がその自宅を難民に解放するなど毎日難民を取り巻く状況は変化しています。その様な状況に不満が募っている証拠として、フィンランドでは難民のシェルターを狙った放火事件が相次ぐなど不穏な空気が漂っているのもまた事実です。
  

この様な状況のなかで彼らは何を求め、路上に座り続けるのか。

北欧諸国では彼らの生活が最低限度保証されるとはいえ、お金を稼がない限り生活は出来ないのは当たり前の事で、私の目にはただ寒空の下彼らが時間を無駄にしている様に思えてしまうのです。

現実的に考えて難民を雇用するのは簡単な事ではなく、まず就労許可を取る過程に時間がかかり、また英語も知らない彼らにその国の言語を教えなくてはなりません。ただでさえ不況のこの国では、フィンランド人でさえ働き口を探すのに苦労していると聞きます。ですが、この物価の高い北欧で生活するためには周りの国よりもお金が必要な事、つまり長期的に職を得なければいけない事は明らかです。
  

難民である彼らが、ここ北欧の地でまともな生活が送れる日がくるのか。

それともやはり彼らはただ単に、家と最低限の保証を手にいれる為だけにここまで来たのだろうか。
  

ここで最終的に、難民を受け入れる側の国の体制が大きく問題になると思います。両手を掲げて彼らを受け入れ、家を提供し言語を教え職を提供し続ける事は、持続可能性のある共存の仕方とは言えないのではないでしょうか。それではただ自国の国民の生活を苦しめるだけで何の解決にも繋がりません。しかし古くからヨーロッパは社会問題を社会全体の事として捉え、負担を惜しまないという様な考え方が根付いていると思います。(アメリカでは金持ちが社会に還元するという様な風潮に対して)つまり、難民である彼らを受け入れたならば、自国の社会に適応させる必要があると思うのです。路上に彼らが座り込んでいる状況は、決して社会に適合しているとは言えません。

  


  

長くなってしまいましたが、海外で生活する上でこの難民問題を避けて通る事は出来ないと思います。また、日本でやはり無関心な若者が多いと叫ばれているのは、それだけ社会の変化にさらされる機会が少ないからだとも感じています。(最近では安保法案に対して興味や意見を持ち、行動を起こす人も多いと聞きますが)
  

難民問題に対してみなさんはどの様に考えますか?
また他の国が実際どの様な状況にさらされているのか、私たちは共有する必要があると思います。

この記事を書いた人

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Aoi
現在地:フィンランド
Tampere University of Applied Sciences トビタテ留学JAPAN日本代表プログラム2期生

Aoi さんの海外ストーリー