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祈るべきはパリだけか?

2015年11月13日

ーパリのテロの後、あなたは何を思い、行動したか?

こういう事件が起こると必ずSNS上での同情や共感の意思表示として
pray for ○○と投稿する人が多くなってきた様に感じる。
今回の事件は特にその顕著な例で、FB上のボタン一つで
プロフィール写真をフランス国旗に変えられるのだから驚きだ。
そういった人々の行動がパリや平和な世界への祈りとでも言えるのだろうか?

もちろん人それぞれの思いがあって行動に移しているのだろうし、
追悼の意をどの様に表現するかは全くの自由なので批判するつもりは決してない。
  

じゃあSNSからトリコロールが消えた時がこの事件の終わり?

この事件の原因に目を向ければ、パリだけに祈りを捧げるのではなく
なぜこの様な事件が繰り返し起こるのかを考えるべきである。
  

4年前の東日本大震災を経験して以来、毎年の様にpray for Japanや3.11と
検索するキャンペーンが行われているが、その度に私は一体
その行為が一人一人にどれだけの意味を持つのかと考えずにはいられない。
被災者や被災地に祈りを捧げる?たったその日だけ?
二度と起こりません様に、なんて願って何か変わるのか?
もちろん3月11日をきっかけに思い出す事は大切だ。
しかしそれ以上に繰り返されない様被害の原因と対策を将来に伝え、
命の尊さ、日々生きているという事の素晴らしさ、
周囲に感謝する気持ちを持ち続けるという姿勢の方が重要に思える。

  

この事件の後は一体どこの国旗が掲げられる事になるのか
なんてバカげた事は考えたくもないし、
大勢の人が一生忘れられない出来事を背負って
テロに怯えながら誰の事もどこの国も信じられなくなる、
常に危険と隣り合わせなんて世界は誰も望んでいない。

それに今回のテロだけが間違っていて、
そんな事をするイスラム国やイスラム教徒を批判し、
自分達の国が参加している空爆や紛争から目を背けるのは
あまりにも狭い捉え方だと思うし、
宗教や経済、様々な利権が複雑に絡み合って起こる問題を
もっと身近に、自分の生きている日常で起きている現実だとして
捉える事が必要だと強く感じる。
  
  

私逹一般市民に何ができる?と思うかもしれない。

だけど、こんな事件が起きた後にSNSで投稿したり
プロフィール写真を変えるだけでは人の記憶は薄れてしまう。

この様な事件は予想できないからこそ、
能動的に世界に目を向け、報道される情報を主体的に判断し
志半ばで亡くなってしまった人、
大切な家族や友人を亡くした人がいる事を思い
その人達の分まで今日という日を精一杯生き、
自分を支えてくれる周囲の人々に感謝の思いを伝え
幸せな感情を共有する事は決して難しい事ではない。

世界が少しでも平和に近づく為には、
身近な周りの人への一歩から始まると留学を通して日々感じている。
様々な国の異なる文化や価値観を持ったお互いを尊重し、
少しでも理解しようと努め歩み寄る事で
自分と、世界という繋がりが強くなっていくと思う。
  

この記事を書いた人

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Aoi
現在地:フィンランド
Tampere University of Applied Sciences トビタテ留学JAPAN日本代表プログラム2期生

Aoi さんの海外ストーリー