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フランス校外実習活動報告②

3.3 リヨン
 サンフォン市庁舎では、現市長と、市議会議員の方と一緒に、普段実際に議会が行われている会議室で議論をする機会を得ました。実際にフランス国内で活躍する政治家に対して、貧困や失業率の実態について直接意見を伺うなど簡単に経験できることではないため、とても貴重な体験で、一言一句逃すまいと必死にメモを取り続けました。サンフォン市でも、国内の他の市と同様に、若者の教育が不十分であること、大学に行っても中退してしまうこと、それにともなう若年層の失業など、様々な問題を抱えています。これに対して市長は「統合政策はどこかで明らかに失敗した」という立場を取り、社会住宅を解体し、ソーシャルミックスを推し進める活動をしています。しかし、市議会の中でも意見は対立しており、問題解決の目途は依然として立っていないように感じられました。また、この議論には現地新聞のジャーナリストの方も出席しており、翌日の新聞にわたしたちの訪問に関する記事が掲載されました。
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 市議会議員の方が対談後、学生の仕事探しを支援する団体や、社会住宅のあるヴェニシューという地域を案内してくださいました。ヴェニシューはメディアなどにより、フランス国内随一の危険な地域だと認識されているようですが、フランスメディアの影響をほとんど受けていないわたしたちにとっては何の変哲もない住宅街でした。そのような街で、案内してくださった方に、「ここは危険な地域だと思うか」と問われ、わたしたちは素直に「思わない」と答えましたが、彼は満足しない表情を浮かべていました。「確かにメディアはここの危険視を過剰に演出している節があり、ここも普段は危険のない街である。しかし実際につい先日にも人が殺される事件が起きている。」と言われ、わたしたちは言葉を失いました。どう答えるのが正しかったのか、どう判断するのが正しかったのか。想像を超える複雑さにすっかり狼狽してしまいました。
 
 CBSPでは、フランスにおけるアラビア語教育とパレスチナ支援に関するセミナーを受けました。アラビア語教室では、生徒のレベルにはかなり幅があるそうで、初心者から上級者までに対応する授業が行われているようです。パレスチナ問題に関しては、ツアーのメインテーマである、「フランスのムスリム移民社会」からは外れますが、ヨーロッパにおいてイスラームを考える上で、こちらもかなり重要な問題だと考えます。わたしはもともと「イスラエルは被害者で、パレスチナは悪」というステレオタイプの思想が植えこまれていない状態で講義を受けたため、第三者の立場の視点を得ることができたように感じます。この講義を受けたからといって、「本当はパレスチナこそ被害者で、イスラエルは悪」と反転させた意識を持つこともまた正しくはありませんが、世界の各メディアが報道するような一方的な目線からの情報と対立する意見を聞くことで、可能な限り中立的な立場から熟考する基礎を築きました。アラビア語を専攻する先輩も、どちらが悪かを考えるのではなく、その経緯や政治的な背景を知ることが重要だと言っていました。
 UFCMでは、近現代のフランスの価値観についてのセミナーを受けました。フランスに基本理念としては、自由、平等、博愛、そして共和国主義などが大きな力を持っています。しかし、それとは別に権力を握るのが、「商品化の流れ」であり、文化に優劣をつける意識が、様々な統合問題を複雑にしていることを理解しました。セミナー終了後、懇親会が開かれました。そこで一緒に話していたUFCMの女性のメンバーに、わたしがずっと抱いていた質問を投げかけました。「わたしたちは日本人で、ここからずっと遠く離れたところに住むただの学生。わたしたちがどんなにこの問題について深く考えようとも、フランスに実質的な変化はもたらされず、あなたたちの何の役にも立てない。わたしたちがこの問題について学ぶ意味はあるのだろうか。」結果、わたしはかなり怒られました。「こうして異なる背景を持つわたしたちが話をしていること自体とても喜ばしいのだ。あなたたちがわたしたちの利益になるかどうかなんて考えるはずがない。わたしたちは兄弟よ。」我々日本人にとって、この問題について知ることも、積極的に関わっていくことも義務でもなければ、求められているわけでもありません。しかし、ムスリムについて知ろうとすると、彼らは優しく迎え入れてくれます。この言葉がどんなに嬉しかったか。わたしはあの時の感情を表現する術を持ち合わせていません。
 AL KINDIでは、ムスリムとしてのアイデンティティが否定されないフランスの公教育を知りました。相互理解、他の文化の尊重という点でかなり理想的な環境で、ほんのり明るく照らされ始めていた未来の光が、また少しはっきりとしたものになりました。礼拝室も整備され、1日5回の礼拝のも個人の自由で、授業中に自由に出入りが可能ですが、あくまで学業優先の方針を取ります。しかし、給食もハラルフードが用意されており、ムスリムとしての規律を保ちながら、フランス人として立派な教育を受けられる学校に、ただひたすら感動を覚えました。実際にそこに通う生徒とも話す機会がありましたが、みな校風を気に入っており、バカロレアにも合格し、グランゼコールへの進学を希望するなど、非常に向上心に満ちた優秀な生徒たちでした。社会全体がこの学校のような意識でイスラム文化を受け入れ、尊重することができれば、フランスにおけるマグレブ系移民の統合政策は平和的に、明るい方角へ向かって大いに順調に滑り始めるのではないでしょうか。

以下、対談中のメモより引用

日本からフランスへの質問

Q. Al Kindi で、ムスリムの子達の礼拝はどのように行われているのか。
A. 1日に5回きちんと宗教実践を行う子もいれば、休み時間等、自分の時間の都合が良いときに礼拝を行う子、そもそも礼拝を行わない子など生徒によって様々である。学校は礼拝室を提供しており、礼拝室にはコーランやヒジャブが準備されている。しかし、学校側から宗教実践を強要することはなく、あくまで個人の判断に委ねられている。イスラム的な雰囲気の強い学校ではあるが、イスラムの教えに従う学校ではなく、あくまでフランスの教育機関として運営されているため、礼拝を希望する生徒は授業中自由に教室を出ることが認められている。金曜日は礼拝を配慮して授業は午前中しか行われない。その後団体で礼拝に向かうわけではなく、授業が終わり次第、家族が迎えに来て、それぞれの家庭で礼拝に向かう。

Q. 授業の途中で礼拝のために教室を抜けた子が聞けなかった部分は後日補足するのか。
あくまで授業が優先であり、非ムスリムの生徒も在籍するため、礼拝のために授業を抜ける生徒のための補講のような特別な措置は講じられていない。

Q. 多神教についてどう思うか。
A. 世界に多神教が存在することはもちろん理解している。自分たちはあくまで一神教であるが、世界の様々な宗教の持つ多様性を認めている。

Q. ムスリムの生徒のうちヒジャブを着用するのはどの程度か。
A. 約80%

Q. Al Kindi に入試はあるのか。
A. ある。求められる成績に満たなければ入学できない場合もある。

Q. この学校を選んで良かった点、悪かった点
A. 生徒3名の回答まとめ
良かった点 ムスリム的な雰囲気が良い/ムスリムの価値を享受できる/イスラームについて学ぶことができる(週1回)/学業の水準が高く、かなり高確率でバカロレアに合格する/小中高が一箇所にまとまっている
悪かった点 学費が高い/遠方から通うには不便/個別指導が充実しているため、自主性が損なわれる危険性がある/特にない

Q. この学校を選んだのは自分の意思?それとも両親の意向?
A. 生徒3名のそれぞれ回答
①両方:両親が公立校に進むことの反対した 自分も公立校より Al Kindi に魅力を感じていた
②親の意向:最初は両親と意見が対立していたが、実際に入学してみて、今は満足している
③②の弟:入学してすぐに環境に馴染めたし、先生も良い人だった

Q. バカロレア試験の合格率の高さが有名だが、授業についていけないような生徒はいないのか。
A. もちろんいる。年に1人程度バカロレアに落ちる生徒もいるが、それはこの学校の問題点ではなく、どの学校にも言えることである。

Q. 将来の夢は?
A. 生徒3名それぞれの回答
①科学専攻コースでグランゼコールを目指して、プレパラシオン(準備)の過程に進み2年間勉強するつもりである。エンジニアリング専攻を志望しており、将来は起業したい。
②エンジニアリングのためにプレパラシオンに進むか、大学の医学部に進学したい。
③大学の医学部志望。また、工業系の短大や工業系の専門学校も考えている。

Q. 好きな教科(その理由)
A. 生徒3名それぞれの回答
①数学:自分の許容を超えたり、知識を開拓できるから。しかし、そういった論理は他の教科からも学ぶこともできるため、数学以外の教科も重要であると考える。
②科学:特に物理。
 言語:アラビア語、英語、スペイン語の授業や、それぞれの国の歴史について。
③数学:本当に好きで、没頭しすぎてよく時間を忘れる。

Q. 家でアラビア語を話すか。
A. 生徒3名それぞれの回答
①話さない:家族とはフランス語で会話する。しかしエジプト方言のアラビア語ならフランス語と同等の水準で会話ができる。アルジェリア方言は理解ならできる。
②お父さんとのみ話す:お父さんがアラビア語しか話せないため、お父さんとはアラビア語で会話するが、兄弟間ではフランス語で会話する。
③②の弟

Q. この学校でアラビア語が学べるという点は、受験を決意する上で重要な項目であったか。
A. 生徒3名それぞれの回答
①はい:バカロレアの外国語科目をアラビア語で受験した。この学校のアラビア語教育は非常に水準が高く、学習環境が非常によかった。また、文語(正則)アラビア語も学ぶことができ、コーランの解釈等、日常生活でも役立つ知識が身についた。
②はい:親の意向で入学したが、話せるだけだったアラビア語の読み書きの能力が大幅に向上してよかった。
③はい:①と同じ

フランスから日本への質問

Q. 日本は神道の権威が衰退してきたと聞くが、その実態はどうなのか
A. 日本でも寺と神社を区別できない子供たちが増えている。神道やその他日本古来の宗教は冠婚葬祭等、儀式的、制度的に影響が大きく、宗教に対する個人の意識はかなり薄い。

Q. 日本は神道の国だと思っていたのでとても衝撃だ。普段の生活にも残っていないのか。
A. 「お米一粒に八百万の神さまが宿っているから、最後の一粒まで食べなければならない」という考え方が「もったいない」という思想に繋がっているなど、神道は日本人の精神に生きている。

Q. 日本の無宗教について。フランスにも礼拝に行かない信徒もいるが。
A. フランスにおける無宗教は「宗教実践を行わない信徒」によるものであるのに対し、日本の無宗教は「所属する宗教が存在しない」点で異なる。一般的に宗教が必要になるのは、冠婚葬祭などの大きな節目が中心であり、普段の日常生活において神の存在を意識するような宗教色の強い習慣はほぼ存在しない。

Q. 一神教についてどう思うか。
A. 世界中で信徒がメッカに向かって祈りを捧げていることを考えると、とても神聖で厳かなものだと思う。国境を越えた絆のあり方として理想的なものの一つ。キリスト教に関しても、巡礼地や、古くから権威のある荘厳な教会が多数存在し、旅先で初めて訪れるような教会でも、自分がそこに属していると感じられることは素晴らしいと思うし、羨ましくもある。

Q. フランスでの校外学習を通して、フランスに対するイメージは変わったか。
A. わたしはフランスを訪れるのは初めてではないため、滞在によって印象ががらりと変わることはなかった。わたしは、フランスでのツアーの前後というよりは、むしろこのゼミを受ける前と後でかなり変化を感じた。フランスと言えば、世界有数の先進国の一つであり、パリの華やかなイメージと相まって、非常に豊かな国である印象が一般的に定着している。しかし、このゼミを通して様々なことを学んでいく中で、フランスの抱える問題の多さとその深刻さについて多くの知識を得た。それからフランスの明るい面と暗い面、双方の存在を同時に感じるようになった。今回のツアーを通して、その暗い部分の実態を、様々な観点から見つめたり、実際に移民街に足を運んでその空気を肌で感じたりして、自体がいかに複雑であるかを、より深く理解したし、わたしも何らかの形力になれたらと思うようになった。

 わたしたちの滞在するホテルには、度々先生のご友人がゲストとして迎えられ、ご飯を食べながら親密な雰囲気で対談を楽しむことができました。そうして話すことのできた方々はみな、ひとりのフランス市民として、ひとりのムスリムとして、彼らの思うことを熱く語ってくださいました。「フェミニズムをとは何か。フランスにおいてフェミニズムは強力だが、わたしにとっては悪だ。この国ではヒジャブの着用を選択すれば、わたしはフェミニストにはなれない。フェミニズムとは、自分の着たい服を自由に選ぶことではないのか。それとも彼らがわたしに求める行動を取ることがフェミニズムなのか。フェミニストになるためには、ムスリムもミニスカートを着なければならないとでも言うのか。それが「女性の自由」なのか。フェミニズムをどう定義するのか。わたしが青を選ぼうとも、白を紫を選ぼうともそれはわたしの問題であるはずだ。彼らがわたしに強制するなら、わたしの自由はどこにある。」「フランスは、豚を食べ、ワインを嗜む人こそフランス人だと言う。では、ハラルミートを選び、酒を飲まないムスリムはフランス人にはなれないのか。一体何が矛盾するのか。」日本で読んだ様々な文献を読むことで、問題の詳細は理解しているつもりでしたが、フランス国民から直々にその声聞くことで、彼らの思想は今を生きているとを感じ、胸が熱くなりました

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4.考察
 ツアー中、浪岡先生のご友人など、フランスで生まれ育ったムスリムの方々と直接対談をする機会を多く得ました。彼らと話す中で、移民出身者の自我は「フランス人」として確立されていると感じました。フランス人としての自覚がはっきりとしている人に対して、そのオリジンや、宗教的バックグラウンドを否定させることの暴力性に対して嫌悪感を抱かずにはいられませんでした。フランスでは、一人の人間の中で、フランス人としてのアイデンティティと、ムスリムとしてのアイデンティティを共存させることは不可能という認識が一般的であり、そのために彼らはフランス国家以外の集団に帰属する、共和国の理念に反する者たちと捉えられます。しかし、そもそもフランス人としてのアイデンティティとムスリムアイデンティティを並列させること事態が理に適わないと判断しました。彼らはムスリムですが、フランス人です。彼らと実際に話してみれば、かようにまで明確な事実が、なぜメディアや行政を通すと、複雑に見えてしまうのか不思議でなりません。
 ツアーを通して出会った、ムスリムの女子学生は、自分がムスリムであるがゆえに直接被害を被ったり、差別的な言葉をかけられたりした経験はないと言います。あるとすれば、ソーシャルネットワークでの誹謗中傷や、マスメディアによる過剰な報道だとも言っていました。これは日本における嫌韓・反韓にも当てはまります。ソーシャルネットワークを始めとするインターネットの様々なアプリケーションを使えば、自分の素性を隠したまま自由に他人にアクセスし、コンタクトを取ることができます。そのため、誹謗中傷問題に対しては、対策こそ講じられてはいるものの、成果は今一つです。またマスメディアの責任についても同様です。メディアは行政と密接な関わりを持ちます。行政がイスラモフォビアを利用しようとする限り、メディアの過剰な報道、恐怖の扇動は止みません。しかし、こういった必要以上に問題意識を高めることが、さらに不満を生むきっかけになってしまいます。これを負のスパイラルだと考えます。人々がムスリムに対して直接攻撃的な態度を取ることがないなら、イスラモフォビアをこれ以上煽り続けることは双方ともに利益がありません。まずは連鎖を断ち切ることが重要です。

5.結論
 問題の根底は、彼らの宗教的な背景でも、集団でも、思想でもなく、フランス人が「ムスリム」をどのように定義するかにかかっているようです。これから政府がムスリムに対してどのような政策を取るかよりも、フランス人にとってムスリムはどのような存在なのか、何をもってムスリムとするのかをはっきりさせることが最優先であると考えます。また、日本で得ることのできる情報はフランス政府側からフランスを眺めた、一方的な見解でしかなく、現地では報道されているほどの緊張感の高まりは感じられませんでした。求められるのは、政府による実質的な政策ではなく、適切な問いと国民全体の意識改革です。ムスリム移民問題を宗教的な問題として捉え、政教分離をかざして批判するのは不適切です。これは紛れもなく、社会的な問題であり、その視点から見つめなければ、根本的な部分から食い違います。先行きは暗いとばかり思っていたわたしですが、校外実習を通して、見つめるべき点を正され、未来に希望を持ち始めました。わたしたちが経験した様々な出来事を通して背負った義務は、言葉の定義を大切にし、物事の本質を見る人々はフランス国内にすでに存在するのだと日本にいる人々に伝えることにあります。彼らに耳を傾けさえすれば、彼らの声が何か大きな権力によってかき消されることさえなければ、フランスの行く道に光はあります。事態は複雑ですが、改善は可能、ムスリムは優しく、暖かいと判断しました。

この記事を書いた人

ellen.t
現在地:日本
東京外国語大学 言語文化学部 言語文化学科 東アジア地域専攻・朝鮮語科 国立行政法人 日韓大学生討論会 北京語言大学 短期留学 (2015/7/22 ~ 8/20) スタディツアー「フランスの移民社会について学ぶ」(2016/2/9 ~ 2/22) 北京語言大学 短期留学 (2016/7/19 ~ 8/18)

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