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平穏を破る一通のメール

紛争地から帰国して3ヶ月が経った。日本の生活は不自由なく、空気がいくらか軽い感じすらする。イスラムの国にいたため、日本で女性の露出に意識もせずに目を奪われてしまうどうしようもない生理的な現象も弱まってきた。日本人に戻りつつあると言えるかもしれない。

でも日本の人たちと会話が合うかといえば、嘘になるかもしれない。自分がどれだけ大変な仕事をしているかを強調したがる男性。どうせ大した男じゃないんでしょ、とすぐに自分の過去の男と比較し値踏みしてくる女性。ああ、たぶん僕が紛争の真っただ中で自分と自分の同僚たちの命を守り、そして民間人の犠牲者を出さないために奔走してた日々なんて、わかるわけがない。わかってほしくもない。そんな気持ちになる自分に対しても、おこがましいような気がして、自己嫌悪にも陥った。

久々に元同僚の友人に会いにお土産を持っていったとき、その日の自分のメイクのノリが悪いという理由でこそこそと僕の目を避け、僕が生還したということをろくに喜びもせず、「おかえり」の一言もなかったのには、怒りすら感じてしまった。彼女を責めることはできない。戦場は、想像できないものなのだから。それは他人の痛みが、例え自分の子どもであっても感じることができないのと同じように。

今回少なくとも半年日本で過ごしたいと僕がジュネーブ本部に通達したのにはわけがある。2ヶ月程度の休暇であれば、休暇に入る前に次の赴任地がわかってしまう。わかってしまったら、休めない気がしたから。だからこうして五月晴れの午後に横浜の海辺で潮風に吹かれて、黄昏ることもできる。

しかし。

ウクライナの事務所からいきなりメールが入り、その日のうちにスカイプで面接したいと言う。平穏は破られ、僕の本当の意味での休暇は終焉を迎える。スカイプには責任ある立場の女性がきりっと座っていて、僕は突然丸裸にされたような気分になる。

「民間人へ爆発物に近づかないようにするための教育を行った経験はある?」
「ないですが、管轄していた義足センターで地雷や不発弾の注意喚起をするポスターなどは多く見たので、部下はいつかの時点でそういった活動に携わっていました」
「ない。そう言ったわね」
「・・・はい、ありません」
厳しい人だ。質問の聞き方、確認の取り方でわかる。

「あなたを採用するかどうかはまだわからないけれど、事務所のセットアップだけは伝えておくわね」と言いながら、かなり詳しい話になる。国際職員が何人、現地職員が何人。休暇は何週間に1回で、生活環境はどうで、どのようなリスクがあって。

これからシリア、南スーダン、ナイジェリア、もしかしたら他の国、例えばイエメンやイラクの事務所から、こんな突然の連絡が続くことが予想されている。I am a humanitarian worker. これを言えるということは、こういう人生を受け入れるということだ。自己憐憫なんて、もう飽きた。徐々に前を向こう。怖がらず、勇気を持って。

この記事を書いた人

一風
現在地:ミャンマー
オランダの大学院を出て人道支援を始める。現在国際機関に勤務。

一風さんの海外ストーリー