戦闘による死者およそ300人。邦人を退避させるには、十分な数字だ。そしてこれからは、僕たち人道支援のプロの仕事になる。南スーダンへの赴任が確定した。
なぜ皆が退避している中、現地に行くことができるのか?不思議に思う人も多いだろう。人が死んでいるのであれば、そこには人道支援が必要だ。だから、人道支援を行う組織は現地に行く。当然のことだ。僕を邦人などという枠にいれようとする努力は、大いなる無駄だ。そんなもの、とっくに飛び越えたところにいるのだから。
危険なところには普通の人が行けないから、自衛隊のようなプロが行くべきだと人は言う。僕ら絶対非武装で行う人道支援の特殊精鋭部隊は、自衛隊や軍隊及び武器を持った者が武器を持たない僕たちよりより多くの人を救うなんて、最初から全く信じていない。そこが一般人の感覚とは、大きく違う。
NGOや国際機関の職員が、どこの馬の骨かわからない素人の集まりだという固定観念は、もう捨ててくれませんか?僕たちは悪いけど、武装して現地の人を怖がらせながら支援するようなバカな真似はしないし、そういう人たちと非武装の自分たちを混同されたくもない。日の丸とか国益とかちっぽけなものを背負って自分にさも崇高な任務があるかのように信じる木偶でもない。むしろ本当の地球市民として、どれだけ危険と隣り合わせでも、救うべき人たちがいると、その人たちを救うために厳しい選考をくぐり抜け訓練を積んできたんだと、確固たる自信を持って言う。「殺されちゃったらどうするの?そこで終わりだよ?」と人は言う。まずもって、それくらいの恐怖に打ち勝つ精神力がなければ、そもそもこんな仕事に就いていない。さらに、武装することで危険を回避できるなんて、狂気の沙汰だ。事実、最初の外国人の犠牲者は中国の兵士だっただろう?血みどろの動乱の中、丸腰でい続けることは最大の強みだ。非暴力は暴力より強いから。これがただの理想だと言うのなら、戦場に来てみるがいい。
日本という国の常識は通用しない。絶対中立絶対非武装の刀は、とてつもなく切れ味がいいってことを、脱藩ならぬ脱国した浪人侍が証明する。鏡の中で、覚悟を決めた顔つきが静かに浮かび上がる。