カレン族との出会いから1年。どうしても抑えきれなかった感情をタイへ送った。そして、日本人学生4人を連れ、再び村へと帰った。
--- 当時の手記より
「言葉が通じればどれほど良かっただろう。しかし、言葉が通じなくてもいいと思えた。」
カレンの人々との生活は身振り手振りと、数少ない覚えたてのカレン語を使ったコミュニケーションが基本だ。あとは笑顔。まず子供と仲良くなれば、家族とも仲良くなれるということで、コミュニケーションをはかってみるものの、シャイなカレン族の男の子。全く話してくれない。おそらくカレン語もまだわからないのかもしれない。だんだんなついてきて、僕の真似をしたり、自分の自慢のおもちゃを見せてきたりした。あの「にこっ」と笑う顔が今でも忘れられない。
昨年、初めてカレンの人々を訪れ、感動的な体験をした僕は「この体験を後輩たちにも!!」との思いから、その熱い想いをいつも語っていた。その情熱に飲まれた4人が今回参加してくれた。今回は本当にこのメンバーで行けてよかったと思う。そう思えたのは、村で過ごしている間の彼らの表情・行動・言葉だった。たくさん泣いて、たくさん笑った。普段は見せない彼らの姿に感動した。そして極めつけは、ある参加者が言い放った「幸せだった!」という言葉。おそらく村で過ごしている間、「どんな時が一番楽しいか?」と聞くと、皆口を揃えて「今でしょ!」と答えただろう。それぐらい一瞬一秒を幸せに感じ、楽しみ、魂がイキイキしていた。
今回のボランティアを準備するにあたって多くの困難に見舞われたが、それらが一気に報われた。彼らと一緒に来れて、ホントによかった!
今回のボランティアの目的は「共同用トイレの建設」「子ども達との交流」であった。しかし、本当の目的は別にある。それは、僕がこのボランティアを「里帰り」と呼んでいるところにある。電気も水道もインターネットもない。日本での生活とはかけ離れたカレンの人々の暮らしは、「貧しい」というより「質素」な生活をし、人間本来のあるべき姿を彼らは見せてくれた。「人間の故郷」それがカレンの村だ。原点に帰って、自分たちの日本での生活を見つめなおし、「人間これでも生きていけるなぁ」というのを感じて欲しかった。
そして、もうひとつの目的がある。「本当の支援のあり方を考える」国際協力に携わる人として、「本当の支援とはどうあるべきか。」これは決して、一方通行の支援ではなく、「お互いが持っている能力や技術、モノを分かち合う。そして、いっしょに働く」ということではないだろうか。
「分かち合う」「一緒に働く」
今回の「里帰り」の間にどれだけ実践できただろう。そして、日本での生活でも問われていくだろう。
最後に村人がこんなことを言ってくれた。
「日本人が帰って、寂しくなってもトイレを見たら思い出すから」と。「大丈夫。僕も寂しくなったら、星を見るから」
カレンの人々に、たくさんのタブルドマ!(ありがとう)。バリ!(終わり)
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「次にまた村に帰るまでがボランティアです!」7日の朝、福岡空港でこうしめくくった。「人間の故郷に帰ろう」それが今回のボランティアのテーマでありスタイルである。
おそらく参加者たちは「何かをしてあげよう」という気持ちがあったかと思う。でもそれ以上に村人は私たちに与えてくれた。「愛」というと、ちょっとうさんくさいかもしれないが、今回のボランティアではその一文字がしっくりくる。
マザーテレサが言った。「平和は微笑みから始まります。」確かにこの村には笑顔があった。そして平和があった。私たちが想像する「平和」は、かけ離れていたところか、こんな身近な所にあったと気付かされた。