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銃声と爆音の中で

「日本から来ました」という自己紹介をすると、アフガニスタン人が必ず口にすることがある。

「知っているかい、アフガニスタンは日本と独立した日が同じなんだよ」

1919年にアフガニスタンがイギリスに勝利したのとほぼ同時期に日本が日英同盟を破棄しているということが一緒に独立したという意味になっているらしいけど、細かいことは実はどうでもいい。重要なのは、この国ではどの家庭でも学校でも、大人が子どもにこんな風に教えているということだ。

「アフガニスタンと同じ年に独立した国を知っておるか。東方にある日本という国じゃ。この二国が辿ったその後の歴史を見てみよ。日本は教育大国となり、技術大国となり、経済大国となり、世界を平和的に主導する役割を担っておる。それに比べアフガニスタンはどうじゃ。今をもって軍閥がはびこり、終わりなき戦争を続けておる。いいか、よき指導者にならねばならぬ。よき指導者とは日本のような国を作る者だ。日本という国が存在する限り、我々にも可能なのじゃ。あのような国を作り、平和と幸福を謳歌するということが。」

自虐的に使われることもある。しかし多くの場合、日本という国への尊敬を表明する時の小話として、あるいは何事もがんばれば可能であるということを示す人生訓として使われる。この国の人たちにとっての日本は、眩しすぎて見えないくらいの威光を放つ大きな希望で、面と向かってこの話をされるとちょっと背中がむず痒い。


アフガニスタン人が日本について語るとき、必ず使われる話がもう一つある。

「アフガニスタンと同じく、いやそれよりもさらにひどく、日本はアメリカとの戦争で被害をこうむった。原子爆弾を二度も落とされ、信じられないほどの人が殺された。しかし日本人はアメリカ人に武力でやり返さなかった。ぐっと我慢し、違う努力をした。数十年後、日本の首相がアメリカの大統領に電話をかけた。日本の首相は言った。
『あなた方に勝利しました』
アメリカの大統領は理解しかねた。
『我々に勝利したとはどういうことですか?』
日本の首相は言った。
『あなたの持っている電話機に何と書かれていますか?』
電話機にはこう書いてあった。
Made in Japan 」

ここで大抵アフガニスタン人はにんまりと笑う。

日本の皆さん、よく働いていると思います。アフガニスタンの片田舎で、銃声と爆音で満たされた乾いた地で、その働きをじっと見ている人たちがいます。この国では決まって乗用車はトヨタ、軍用車はフォードです。武力に手を染めない心意気を、静かに感じ取っている人たちがいます。なんて格好いい人たちなんだと、羨望のまなざしで見ています。ちょっとやそっとの羨望なら、こんなオリジナルの話作らないし、耳も貸さないと思います。でも老若男女、この話を知らないアフガニスタン人は、いません。本当に信じられない。

この記事を書いた人

一風
現在地:ミャンマー
オランダの大学院を出て人道支援を始める。現在国際機関に勤務。

日本人はアメリカ人に武力でやり返さなかった。ぐっと我慢し、違う努力をした。

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by ** 2015-11-09

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