Canpath
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旧友と旧都へ

バンコクの交通機関は快適だった。「東京の真似すんなよ」という言葉がこぼれるくらい、僕をニヤリとさせる。インターネット上にあった前評判とは裏腹に、鉄道から地下鉄、地下鉄から長距離鉄道への乗り継ぎもスムーズだった。

フアランポーン駅周辺ではトムヤンを食べ、中華街の方へ少し歩いた。正月を過ぎたばかりの物静かなバンコク。市内を流れる川の水面も斜陽に輝いて綺麗だった。駅の近くで偶然発見した寺院は、外観の派手さで近づいたものの、その内装の壁画たるや、予想外に緻密で、金色の仏像の前でへたり込んでしまった。

大都会を抜け出す列車の社葬は夕暮れ時の人々の様子を色鮮やかに描き出し、すっかり暗くなった頃、ロプブリに到着した。
ロプブリ行きの列車.jpg


ロプブリ駅そばの露店で麺をすすっているときに肩を叩くのはパトリックしかいない。ようやく会えたのは夜9時を回ったところか。まったく、ここまで細かく日程と場所を調整したにしては唐突ではないか。しかし、7年ぶりな感じはしない。


ビールを飲んで明けた翌朝、オムレツを食べて遺跡を回る。博識なパトリックの話を小耳に入れながらも、肌で感じる悠久の時間に身を任せ、怠惰と好奇を行ったり来たりする。未知の世界に、友といる。それだけで十分旅は甘い。

どこを歩いても汗が滴る。体力は給水や食事まで消耗という名にふさわしいほど低下し、ぼおっと眺める時間の隙間を作り、しかし眺めるに値する遺跡に囲まれているため有益となる。有益ならずとも記憶には残る。休み休み歩を進め、一通り残した足跡に満足すると、列車でアユタヤへ向かった。

宿探しもまた冒険。冒険を征して蓮の池に隣接する場所に宿を確保し、夜は外へ食べに出た。美味な皿が愉しさを増幅させ、さらにそのあと路上の祭にも遭遇し運もついてくる。


翌朝。自転車を借りて遺跡群を縫って走ると古都の全容も見えてきた。アユタヤ島と呼称されるのも頷ける。この旧首都は川に四方を囲まれていて水上での交易が可能だ。ビルマ人の襲来で荒廃したとされているが、バンコクへの遷都で遺跡が遺跡らしく面影を残している。美術館は墓荒らしのおかげで10分の1ほどに目減りした宝物が最大限丁重に陳列されてある。

昼食を食べて宿で一休みしてから、今度はボートで各所を巡るツアーに出る。夕日はまばゆく僧たちの袈裟を照らし、卒塔婆の煉瓦を朱い波のように見せる。王国の日没は、刻を経てもなお、格式の中にある。

この記事を書いた人

一風
現在地:ミャンマー
オランダの大学院を出て人道支援を始める。現在国際機関に勤務。

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